きょうさんプロフィール
<名前> きょうさん。
デジカメ好きなので、友だちづきあいでは、‘デジカメきょうさん’と呼ばれたりしています。
<生年月日>
1972年(昭和47年)12月7日生まれ。
射手座
<血液型> O型です。
添乗員のころ、お客様に血液型クイズをすると「あなたはA型」とよく言われました。きめ細やかな仕事っぷり?がそう思わせたのでしょうか。
<座右の銘>
念ずれば花開く。初心忘れるべからず。
<好きな言葉>
「悩まず考える」、「まずは行動!」、「準備に勝る成果なし」
<嫌いな言葉>
「後回し」
<保有資格>
・一般旅行業務取扱主任者資格(JATA)
(↑現、総合旅行業務取扱管理者資格)
・一般旅程管理主任者資格(JATA)
<思い出の添乗> 1998年サッカーフランスワールドカップ。
第3戦ジャマイカ戦はチケット問題の影響もそれほどなく、自身初のスタジアム観戦で、お客様と一緒にドキドキ応援しました。
<高等学校>
年間10枚もらえる学割を最大限に活用していた。高校1年生、東京へ列車の一人旅。夜は駅のホームで野宿。ドキドキもんでした!高校2年生、友だちと四国一周、九州一周旅行へ。旅の魅力を感じる
<大学時代>
大学2年生の冬。パスポートを取得し、初の海外旅行!香港へ。飛行機に乗るのも初めてだった。卒業旅行は、アメリカ4都市を回った。ロサンゼルス、ニューヨーク、オーランド、サンフランシスコ。グランドキャニオンの雄大な景色に感動し、世界に興味を持ち始めた。
<社会人1年目、22歳>
就職し、配属先は広島。誰も知る人のいない広島での生活だったが、すぐに友だちが増え、今でも第二の故郷と思える土地である。先輩には恵まれたが、組織のコマのひとつとして働いている仕事にやりがいを感じられず(まだまだ青い〜)、転職。
<23歳>
憧れの旅行会社へ就職が決まる。
ローラー作戦とばかりに地域の企業に飛び込み営業をつづける毎日だったが、入社後、か数日で社員旅行を獲得し、仕事のやりがいを感じる。やればやった分だけの数字が上がる、そんな営業の魅力を知った。連日、企画書・見積書作成の毎日だったが、地図や時刻表、観光ガイドブックに囲まれる日々は幸せそのものだった。当時18%の合格率だった「一般旅行業務取扱主任者」資格に合格。
<25歳>
チケット問題が話題となった、「サッカーワールドカップ・フランス大会」の添乗員社内審査に合格し、初のヨーロッパ添乗へ。ルーブル美術館でモナリザに会えたり、エッフェル塔に登ったり、TGVに乗ったり、仕事で味わう旅行気分を満喫。初めてサッカーを観戦し、国歌「君が代」斉唱に胸が熱くなる。
無事に帰国し、「お前はチャレンジャーだ」の称号を先輩から授かる。
<25歳の12月>
オーストラリアでのワーキングホリデービザが25歳まで(今は30歳まで)と知り、海外ゴルフ留学のチャンスを活かすため、退職を決意。ゴルフ完全燃焼をするため、オーストラリア・メルボルンでのプロゴルファー挑戦がはじまる。
<26歳>
日本人のいない環境でプロテストを受けられるまでゴルフの腕は上がったが、世界の壁は厚かった。予選落ち、、、
その後の日々は、ゴルフをしながらも、エアーズロック観光、美しき街パース滞在、タスマニア一周など、オーストラリアの魅力をたっぷりと感じる。人生に大きな影響を与えた一年間であった。
<27歳>
旅行会社での添乗員経験を活かして、添乗員派遣会社のスタッフとして就職。旅行会社への営業をしながら、未経験者への指導教育業に携わる。
<29歳>
2月、ネパール旅行。
大自然の山に触れることを目的に、取引先の方と7日間の旅へ。トレッキングの毎日であったが、自然そのものの景色、人々の笑顔に感動の連続であった。旅っていいなぁ〜
<30歳>
いつの間にかそばにいることが多くなった職場のたかさんと6月結婚。新婚旅行は、南米ブラジル・ペルー。15日間も休ませてくれた会社の皆さん、ありがとう!
<31歳>
人生の転機と判断し、世界への挑戦を決意。大きな希望と夢がボクを支えてくれている。
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たかさんプロフィール
<名前> 年上からは、たかちゃん、年下からはたかねー、だんなさんからはたかさんと呼ばれています。どのあだなでも気に入ってるのでお気軽にお呼びくださいね〜
<生年月日>
1972年(昭和47年)9月26日生まれ。
てんびん座
<血液型> A型です。周りからはB型とよく言われます。滅多にA型とは言われないのはなぜ?
<座右の銘> 一期一会
<好きな言葉>
「今しかない!」「今しか出来ない!」
だから、バーゲンやここでしか食べれないものとか、限定物など大好き!!
<嫌いな言葉>
「後悔」
<保有資格>
・国内旅行業務取扱主任者資格(JATA)
・一般旅程管理主任者資格(JATA)
<思い出の添乗> 「香港返還日に北京にいた。夜の12時になる頃には、中国人の皆さんとカウントダウンをしてお祝いしました。花火があがり、とても活気あふれる中国に感動した。今、中国経済がにぎわっている事は痛感できる。」
旅行で育った生い立ち
<高等学校>
学校中が仲がよく、毎日「箸が落ちても笑う」っていうくらい楽しかったです。勉強は嫌いだった・笑。卒業旅行で友人8人と沖縄旅行へ。ここから、私の旅行への執着心が高まっていく・・・。
<専門学校>
特になりたものがなかったため、一般的なビジネス専門学校へ行く(作文だけで入学できたので)。
OA秘書科で女性ばかりの学校生活で2年間楽しむ。御堂筋電車での朝のラッシュにもかかわらず、痴漢には一度も会わず・・・いいのか・・・悪いのか・・・ハハハ
<社会人1年目、20歳> 一般OL、しかし、毎日の生活に疑問をもち、半年目から自分の人生を真剣に考え、夜間の旅程管理主任者を受講、半年間通い、合格と同時にOL生活も終了。
<21歳>
夜間学校の先生の紹介により、「添乗員」という職業を知り、旅行業界にはまっていく。このあたりから、どうせやるなら、何でもチャレンジしよう!と自我が目覚め、国内添乗・海外添乗と3年間、楽しむ、、、いや、勤める!
<25歳>
昔から行きたかったワーキングホリデー、オーストラリアの25歳が最後の年齢(現在は30歳まで)。添乗員を辞め、渡豪。
半年間はパースで日本料理店のバイトと学校へ通い、後の半年は、ケアンズでツアーガイド、ラウンド(オーストラリア・ニュージーランド)をする。その後、タイ・インド・ネパールと半年間旅をする。
<27歳>
日本で落ち着き、仕事をさがす。
添乗員派遣会社に就職し、添乗員の育成に携わる。過去の経験を若い世代へ伝える。
<28歳>
オーロラを観に、カナダへ。天候になかなか恵まれず、ラストチャンスでオーロラと対面!お母さん、と姉ちゃんと共に涙を流しちゃうほど感動でした!
<29歳>
友人を訪ねてケニア・タンザニアへ。
大自然のド真ん中で、見た自然動物は、イキイキとしてかっこよかった!私もキリンになりたい。
<30歳>
同じ会社のきょうさんことだんなさんと結婚。退職。仕事よりも私にとって大変な主婦業に専念。
しかし、一年も経つと、なぜか、社会から取り残されるっという不安にあい、仕事と主婦業の両立を開始。だんなさんの協力もあり、充実した毎日をおくる。
<2004年8月>
私のずーっと夢だった世界一周旅行に主人が同意。逆に不安になりながらも、一人の夢だったことが、夫婦の夢に変わり、目標に向けて家族会議が毎日おこなわれています。
まだまだ、私には夢がたくさんあります。結婚したら、叶えられない夢があると思っていた。でも、願えば夢は必ず実現する。ということを実感。せっかく人間として生まれて、育ち、この限られた時間を有効に使いたい・・・
もう年だから、忙しいから、なんていう言い訳は大嫌い!世界一周なん・・・私には出来ない・・・と思っている方、本気でやりたいと思っていないから、出来ないのであって、可能にする仕方ややり方を考えていないからです。まだまだ32歳の私。今後も楽しく生きていきまーす。
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