●遊牧民の魅力ある笑顔
北京語もそうであったが、言葉が通じないのは苦痛である。モンゴル語も例外ではなく、話すことはもちろん、聞くことの能力もまったくないので意図を伝えられないことは相当つらい。漢字を見せれば通じた北京人とのコミュニケーションの方がまだ楽であった。
それでもモンゴル人から温かい人柄を感じる。やってきた人を迎えてくれる雰囲気がある。なぜだろうか。観光ゲルと呼ばれる、日本やヨーロッパからの観光客を受け入れる専門ゲルもあるようだ。しかし今回ボクらがお世話になったのは一般ゲル。それほど観光客がやってこないはずなのに、不思議であった。
初日、出発時間が遅いこともあって、ゲルに到着したのは夜中の12時。深い眠りについているはずの家族を襲った訪問であった(事前連絡は伝わっているはずだが)。それでも家主はじめ、家族は布団の中から顔を出し、笑顔で微笑んでくれた。ありがたかった。その夜はゲルの床に寝袋を広げ、早々と眠った。翌日から、まったく日本語の分からないモンゴル人と、まったくモンゴル語の分からない日本人の共同生活がはじまった。
ゲルには、多くの人がやってくる。毎日、それも食事の時間が近づくと、よく人がやってきていた。その度にボクらは自己紹介するのだが、日替わりのように違う顔ぶれであった。あとで聞いた話だが、通りすがりの人でも迎え入れるそうだ。そうでなければ、ここでは生きていけないらしい。人を大切にする根本の考え方がそこにあるように思った。
コミュニケーションを支える救いだったのが、彼らから差し出された一冊のテキスト。ページも破れている。うす汚れた紫色の表紙には、モンゴル語が書かれている。裏を返せば『日本語日常会話集』と書かれてあった。中を開けば、モンゴル文字で書かれたモンゴル語に相対するように日本語が書かれている。モンゴル人は、それを読めば日本語を話せるが、日本人はそれを読んでもモンゴル語は話せない。どうやらモンゴル人向けの日本語テキストのようだ。それでも、無いよりは、ありがたい。ボクらは、そのテキストに書かれた日本語を見て、横に書かれているモンゴル語を指差し、意図を伝えていった。
モンゴル語を覚えたいので、カタカナ書きでメモしていくのだが、これが難しい。日本語で「ありがとう」は、モンゴル語で「バイルルラ」という。しかし、この発音ができない。「ル」はアルファベットの「L」や「R」とも違うようで、巻舌にしてもダメであった。何度も繰り返してみるが、その度に直されていた。最初に覚えたのが、「これはモンゴル語で何と言うのですか?」というモンゴル語。「ウーニック モンゴドール ユー ギッヒ ウェ?」 これさえ通じれば、何とか会話を重ねることができる。そうやってモンゴル語の単語を増やしていった。彼らも同じように、そのテキストを手に、ボクらに意図を伝えようとしてくれた。子どもがオモチャを取り合うように、そのテキストを取り合っていた。
わずか数日で、会話ができるなんてことはない。それでも別れ際に、悲しく感じた。彼らがどう思ったのかよく分からないが、お互いがお互いを知ろうと努めたような気がする。相手に伝えようと必死で言葉を探し、相手を理解しようと必死で聞く。コミュニケーションの原則はそんな相互理解からはじまるものだと思う。車でゲルを離れるとき、「バイラシテ(さよなら)」と手を振る彼ら。快晴の青空の下、遊牧民たちの笑顔はとってもさわやかだった。
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■コメント
まるで映画のインディージョンズの古代語を解き明かすようで、言葉の謎解きが楽しそう!?人間互いに相手を理解する気持ちがあれば、言葉が分からなくても、真意が通じるものです。数少ない人との出会いを大切にしないと、生きていけないモンゴルの自然の厳しさを知りました。
投稿者 kiyoshi : 2005年06月11日 09:07
素敵な出会いの、連続みたいですね!うらやましい!!
私も、まだまだ、いろんなことにチャレンジしたいです。
世界中が、笑顔なら、きっと幸せですよね・・・
投稿者 xmasamix : 2005年06月13日 21:50
右上の写真お気に入りで「壁紙」にトライしましたが、ダメでした。なかなか◎の写真です!
投稿者 江戸町 : 2005年06月14日 20:27
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