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 ホーム > せかたび日記 > オランダ(Netherlands)
2005年08月08日
●言葉の壁をこえたきずな

今から二週間ほど前のこと。コーンフレークを食べながら、リーセフィヨルドプレーケストンの駐車場で霧が晴れるのを待っていた。

続々と車がやってきて、せかたび号の左となりにもキャンピングカーが近づいてきた。ボクが扉を開けていたので、ドライバーとアイコンタクトして、駐車しやすいように扉を閉めた。年配の夫婦だった。プレーケストンには、若い人が多くやってきているように感じていたので、(めずらしいなぁ)と思った。

「もう登ったのか?」
「いや、まだなんです。晴れるのを待っているんです」

これがオランダ人老夫婦とのはじめての会話だった。

ボクらが天気が変わるのを待ち続ける間に、彼らはプレーケストンへ登り、駐車場に戻ってきた。往復4時間と聞いていたわりに早く戻ってきてビックリした。そして彼らはボクらがマカロニを食べているのを見て、「まだ待っているのか」と驚いていた。

そしてオランダへの移動ルートを尋ねているうちに、「私たちはアムステルダムに住んでいる。よかったらうちに泊まりにきなさい」と言ってくれた。

ドイツのベルリンから電話してみると、ボクらのことを覚えてくれていた。そして彼らの家に3泊も泊めてもらった。

オランダを出発するころになって、まさか、こんなに別れが寂しく、せつない気持ちになるとは想像していなかった。それほど密度の濃い充実した時間を過ごさせてもらった。



聞いていた住所を地図で探し家に到着。到着するなり、「よく来たな。私たちは、君たちが今どこにいるのだろうかとずっと考えていたんだよ!」と大きなハグで迎えてくれた。プレーケストンでの、ほんの数十分の出会いだったのに、こうして迎えてくれることにビックリした。

「あの後、どこへ行ったんだ?」「オランダではどこへ行きたいと考えているんだ?」そんな風にボクらのことを気にかけてくれる。うれしかった。
洗濯物があれば出しなさいと言ってくれる。(おっ!なんで知っているんだ?)と恥ずかしながらもありがたく、自動洗濯機のお世話になる。

3階建ての広い家だった。ランニングのコーチをしているらしい。どうりでプレーケストンも速かったんだ。3階の部屋には、トレーニングマシンや、冬の出番を待つクリスマスツリーが置いてあった。65歳でふたりきりの暮らしだ。

ママは「明日は私が料理をつくるの。今日はレストランへ行くのよ」と言った。パパは「特別な日は外で食事をするんだ。こうして君たちがやってきた今日のようにね」と言ってくれた。レストランでも、「食べなさい。食べなさい。もっと食べなさい」と言ってくれる。「たまにはマカロニ以外の食事もいいだろう」と笑っていた。もちろん、そのとおり!久しぶりの十分すぎる食事に、ついガッツいてしまった。

一緒にいる時間、「何か聞きたいことはないか」と声をかけてくれ、辞書や百科事典、インターネットを屈指しながらボクらにいろんな話をしてくれる。ふたりとも65歳なのに、よく動くし、バイタリティがあると思った。ボクは、日本語を話さない日が続くと思えば、精神的にしんどいと思う。彼らは、「私たちは英語を習っていない」と言いながらも、普段使わない言葉を一生懸命話してくれる。そんな姿勢を尊敬した。

ママの食事もおいしかった。「もし、ボクらがあの場所に車を停めていなかったら、あなたたちとは出会わなかったし、こうして一緒に食事をすることもなかっただろう」。そう言うと、「あなたたちとは、宿命だったと思う。出会ったことがミラクルだ」と。なんて粋な言葉を言ってくれるんだろう。「月曜日にあなたたちが出発したら、もう二度と会わないかもしれないのよね」と涙ぐむママ。まるで、ずっと一緒に過ごしてきた家族と別れるときのように、思わず、ボクも泣いちゃいました・・・。

「これからのスケジュールは立てているのか?もしあれば、教えて欲しい。そうすれば、今あなたたちがどこにいるのか分かるから」。

彼らは最後までボクらのことを気にかけてくれていた。そしてクリスマスツリーに飾られていたクマの人形を渡してくれた。

「私たちとの出会いを思い出してね」と。

「あなたたちはファミリーよ」と、別れをしのび、日本の歌を捧げ、ボクらとせかたび号は出発した。車中、無言の時間が続く。ボクらは感謝し、涙していた。オランダ人老夫婦が与えてくれた数々の気持ちを振り返っていた。

知り合ってからの時間がたとえ短くても、言葉の壁で十分な会話ができなかったとしても、気持ちを伝えることはできるし、お互いを想いあえることができると感じた。



きょうさん♂


2005年08月07日
●日本料理を食べてもらう

お世話になったオランダ人夫妻に少しでも恩返しをしたいと思って、きょうさんと一緒に日本食を作った。

考えた献立は、「肉じゃが」「ポテトサラダ」「照り焼きチキン」そして「ライス」だ。

しょうゆがなかったので、パパのケシーにアジアショップをインターネットで探してもらい、に材料の買出しにも付き合ってもらった。そこでは、すき焼きのタレとしょうゆを買い、食材もスーパーで用意した。

ガスコンロがある広いキッチンには鍋もたくさんあり、事前のイメージどおり作っていくことができた。

途中、何度もママのロニーがキッチンにやってきて、様子を伺う。照れ笑いしながら今の気持ちを辞書で見せてくれると「詮索好き」だった。 なぜかというと、このキッチンを作ってロニーに料理を作ったのは私たちがはじめてだったらしいから。いつもロニーが料理をしているという。それは、気になると思う。

おそよ2時間かかって終了。

さすがに、ひと口目を食べてもらうときは、ふたりとも緊張した。

さて、お味は・・・

「うんんん〜!おいしー!おいしー!」と何度も言ってくれる。3杯もお皿にお代わりしてくれて、あっという間になくなってしまった。

この世界一周旅行ではじめて、外国人に日本食を紹介できた。それが、とてもうれしい。

昨日は、ママのローニーがオランダ料理を作ってくれた。分厚い、肉のステーキにゆでたジャガイモやさやえんどう、にんじんなどを添えてくれて、とてもおいしかった。

こうして異文化交流をこれからもたくさんの国としていきたいと思う。また、もっと日本のことも知ってもらいたいと思う。

たかさん♀


2005年08月07日
●オランダ風車と堤防を知る

オランダといえば、風車。それにチューリップとチーズ運びが見たい!と思っていた。

添乗員のころ、オランダと言えば、長崎にあるハウステンボスがイメージにあった。実際にオランダに来ると、確かにハウステンボスを思い出す街並みがここにあった。正直言うと、ハウステンボスの方がきれい。

残念ながら、チューリップは4月に咲くので、広い畑は一面、緑だった。またチーズ運びは、近くの場所でやっているのだが、毎週金曜日ということで、今回は見れなかった。

しかし、風車はたっぷりと見られた。その技術はとても素晴らしかった。

風車の仕組みはよく知らなかった。

連れて行ってもらったミュージーアムで聞くところによると、オランダの昔は、あたり一面沼池や湿原だったらしい。そんな場所に人間が住むということは、なかなか難しかったようだ。多数の堤防や水門なども、嵐などでたびたび削られて、土地がどんどん水に埋まっていく。オランダの人たちはずっと苦しめらていたんですって。

そんなとき(15世紀)に、風車が作られた。

風の力を利用して、水をくみ上げるのだ。ひとつの風車だけではなく、次の風車でまた水をくみ上げ、さらに次の風車で水をくみ上げて、どんどん水を吸い上げていく。そうすると、水がなくなった沼地が乾燥し、土地になるという。こうして土地が増えて、今のようにじゃがいもやとうもろこしがたっぷりと作られるようになったらしい。

素晴らしい仕組みを当時の人は考えたもんだ。風車の中に入って歯車を見ているとそう思う。そんな風車も19世紀には、電気の登場で、ほとんどがなくなってしまった。今のオランダに残っている風車はとても貴重だ。

昔は、この風車の中で人々は暮らしていた。台所や、ベット、トイレもあり、意外と中は広い。

オランダの街や村を車で走っていると、本当にビックリする。右の川と左の川の背の高さが違うのだ。1メートルほど違うところもある。

実際、オランダ北部一帯は、事実上海面下1メートルから4.25メートルという低地だ。そんな場所にあるスキポール空港は、もちろん世界一低い場所にある空港だ。こういった国だったからこそ必要だった風車。

そうしてもうひとつ必要だった堤防[Dike]。至るところに、堤防がある。

オランダの堤防を作る技術は、世界から必要とされいているらしい。まるで橋のような32キロもある長い堤防を車で走った。この堤防のおかげで、多くの人が住みやすくなったと思うと、作った人の功績を称えたい。

各国それぞれに適したものがあり、適した食べ物がある。また素晴らしい技術を私たちに教えてくれる。

この風車や堤防を作った発明者の『プロジェクトX』があれば、ぜひ観てみたいと思った。

たかさん♀


2005年08月06日
●アムステルダムのGAY

人の秘密が明らかになるのなら、こんな人が集まるものかと、驚いた。

アムステルダムにやってきたら、「今日は、ゲイパレード」だって。

いやいや、ボクはゲイではありません。高校生のときに、かくし芸で化粧したことがあるくらい・・・。

アムステルダムのゲイパレードは、年一回のお祭り。船に乗って、堂々と手を振るんだそうだ。

通りは人でいっぱい。川が多いので橋もよくかかっているんだが、川沿いも、橋の上も、もう人、人、人・・・。おかげで、アムステルダムのオランダらしい、ハウステンボスらしい?街並みはなかなか写真に撮れなった、、、(悔)。

船だけじゃなくて、通りも歩いているんだけど、どう見ても男だよ。それも背が高い大男。(ほんまに、ゲイなんか?催しに参加してるだけじゃないの?)なんて思ってしまった。だって、ゲイって男が惚れるくらい、女性らしい雰囲気があるって想像したからだ。

「これが、アムステルダムだよ」

となりで並んで写真を撮っていた男性が、笑いながらそう言った。なるほど、年一回しかないイベントに出くわしたのはラッキーだ。でも、欲を言えば、もっと美人を見たかった。

それにしても、大勢の人を見ていると、「秘密が明らかになる」ってことは、とっても興味をそそられることなんだと思った。

きょうさん♂


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