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2006年09月15日
●アウシュヴィッツの事実

アウシュヴィッツ 強制収容所

「働けば自由になる」
「労働は自由をもたらす」

アウシュヴィッツ第1収容所の正門には、そのような意味を表す「ARBEIT MACHT FREI」の文字が掲げられています。囚人たちは、毎日この門をくぐり労働に出かけていました。収容所の増築作業、新しい収容所の設立、石炭採掘や軍事工場などの建設作業にかりだされていたのです。

アウシュヴィッツ 強制収容所

「パンとスープだけ」という食糧不足に加え、過酷な労働や厳しい拷問は死亡率を高めました。収容所で見られる囚人たちの写真には、入所年月日と亡くなった年月日が記載されています。よく見ると、ほとんどの人がわずか3ヶ月ほどの期間。

収容所がソビエト軍に開放された当時のフィルムを見ることができます。囚人たちの身体はげっそりとやせ細っています。体重20キロ台というんですから、体の線から骨が浮き出てくるような細さです。

重労働と飢えで体が衰弱し、やがて死に至るまで、囚人たちは収容所で強制労働をさせられていたのです。


アウシュヴィッツ 強制収容所

アウシュビッツ収容所。

第2次世界大戦時にヒトラー率いるナチス・ドイツが作った殺人工場です。死者の数について正確な数字は残されていませんが、収容所の所長ルドルフ・ヘスは、「少なくみても150万人」とのちに証言しました。犠牲者は、多くのポーランド人、捕虜になったソ連兵、宗教者、共産主義者、障害者、ロム(ジプシー)、同性愛者たちですが、85パーセントを占めていたのはユダヤ人でした。アウシュヴィッツは、ホロコースト(全部焼かれたという意味)とよばれるヨーロッパ・ユダヤ人虐殺の象徴です。

北はオスロ、南はアテネを含むヨーロッパ全域、1000〜1500キロ、中には2,400キロ離れたところから運ばれてきた人もいました。「東ヨーロッパに移住する」という言葉を信じて、密閉された貨物列車に乗り、何日もかけてアウシュヴィッツに連れて来られたのです。

すべての人が労働を課せられたのでしょうか?

そうではありません。

労働に適さないと判断された女性や子ども、老人、知的障害者、そしてユダヤ人のほとんどは収容されることもなくガス室へ連れて行かれたのです。その割合、およそ75パーセント。4人のうち3人はガス室行きだったのです。

アウシュヴィッツ 強制収容所

線路脇で「あちらへ」と指し示している人の写真があります。ヨーロッパ各地から着いた列車に乗っていた人をその場で見分けている写真なのです。本来ならば人を助けるはずの医者がそのような判断をしていたのです。

ガス室は線路のすぐ先にありました。
働けないと判断された人々は「シャワーを浴びるため」と服を脱がされます。石鹸を持たされ、「服をかける場所に番号を書いておくと間違えないよ」など巧妙なセリフに安心させられシャワー室へ入ります。一度に500人、多いときにはおよそ2,000人が入った部屋。シャワーから出てきたのは、温かいお湯でもなく、水でもなく、チクロンBという窒息ガスでした。中にいた人は15分から20分で窒息死したといいます。

アウシュヴィッツ 強制収容所

死体から切った髪の毛で生地やマットレスが作られ、抜いた金歯は金の延べ棒に変わって市場に流れて行きました。残された死体は焼却炉へ。一度に2、3体を焼くのですが、それでも焼き切れないほどの数。野原で死体を焼いている衝撃的な写真もありましたし、フィルムでは間に合わなかった死体が山積みになった映像もありました。

人間の灰は、肥料として使われたり、近くの川や池に捨てられました。ほんの一部だけ収集できた灰が容器に入れられて保存されています。

没収された荷物類は、こと細かく分類されたそうです。多くの人は「移住する」と思っているのですから、生活道具一式や全財産を持ってアウシュヴィッツにやってきていました。金、銀、財宝類は市場へ。活用できないポットや食器類、スーツケースや靴、靴磨きのブラシやクリームが展示されています。靴なんて(何足あるんだろう?)って思うほどの驚く量。それらは、ほんの一部だそうです。

アウシュヴィッツ 強制収容所



アウシュヴィッツで、このような恐ろしい出来事が日常茶飯事に行われていたと言います。システム化されたように、まさに殺人工場でした。

そして、それらを行っていたのは人間です。

歴史を繰り返さないために・・・。自分たちは、アウシュヴィッツから何を学ぶことができるのでしょうか?


 ●アウシュヴィッツの教え へつづく


きょうさん♂

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2006年09月14日
●アウシュヴィッツの教え

アウシュヴィッツ 強制収容所

アウシュヴィッツについて、本やガイドブック、インターネットで概要はつかんでいたものの、実際に現場にやってきて目の当たりにすると、この出来事の規模の大きさに驚きます。

ドイツ軍敗戦までの4年間で殺害された人の数、約150万人。神戸市の人口が150万人ほどだったので、神戸の人がみんないなくなってしまう数です。

到底リーダーであるヒトラーひとりではできなかったこと。そもそも、ヒトラーはベルリンにいて、一度もアウシュヴィッツに来たことはないそうです。つまり、ヒトラーの周りにいる人、ヒトラーの演説を聞いた人が、ヒトラーの考えに共感して、実行できていたことになります。

「ユダヤ人を絶滅しよう」。

反ユダヤ主義の歴史については、このときに限らず、ロシアやアメリカでも起こったことらしいのでもっと歴史を学ばなければなりません。ただヒトラーが政権を握っていたころは、反ユダヤ主義が「公式な政策」のひとつになっていたというんですから驚きです。

収容所の監督権を持っていた秘密国家警察ゲシュタポ、収容所初代所長のルドルフ・ヘスや武装親衛隊を率いていたヒムラーなど。また囚人が囚人を管理できる仕組みになっていたというんですから、ユダヤ人虐殺に至った経緯はヒトラー個人の問題ではなく、「ユダヤ人は害虫である」といった人間が持つ「差別意識」のようなものから芽生えてきたように感じるのです。

さすがに今の世の中、「人を絶滅しよう」なんて風潮はありませんが、人を差別するのではなく、人と区別して、自分の至らぬところを知り、真似たい部分を吸収する、そんな他人(ひと)と共存できる人間でありたいと思います。

アウシュヴィッツ 強制収容所

なんて言うものの、自分がその時代にいて「言うことを聞かなければ殺す」って言われていたらどうしたでしょう?「ユダヤ人を殺さないとお前を殺す!家族を殺す!」って銃を突きつけられたらどうしていたでしょうか? 死ぬのは嫌ですから、もしかすると言う通りに殺すような気がします。。。

頭では(良くないことだ)って分かっていても、その状況によって自分で理由をつけたり、意見を変えたり、決断できるんですから、人間って、よく分からない生き物なのかもしれません。

殺人工場だったアウシュヴィッツに植えられていたポプラの樹。当時の収容所の様子を描いた絵には建物1階分の高さなんですが、60年経った今では建物2階をはるかに超える高さに伸びていました。「殺す」ことが当たり前の場所で「育てる」気持ちも同じように持っていたことになります。

アウシュヴィッツ 強制収容所

生地が薄い囚人服は寒さから身を守ることができず、コンクリートの上に置かれたわらの上で囚人たちは寝ていました。冬のポーランドはマイナス20度になるそうで、いつ凍え死ぬか分からない環境。部屋の片隅には「ひと晩で死んでもらっては困る」と暖炉が置かれています。

アウシュヴィッツ 強制収容所

初代所長ルドルフ・ヘスの死刑が執行された絞首台を見られますが、その近く、ほんの100メートルほど先にヘスの家がありました。ヘスは奥さんと5人の子どもと一緒にそこで暮らしていたのです。家では夫であり父親の顔を持つ一方、アウシュヴィッツに来ては女性や子どもを含む人を簡単に殺していました。ヘスだけではありません。アウシュヴィッツを管理する多くの人はこの近くで家族と共に暮らしていたのです。いったいどんな気持ちで家族と向き合っていたのでしょうか。

そんな人間が持つ矛盾の部分にも気づきます。

アウシュヴィッツ 強制収容所

逆に、こんなことも感じました。

ユダヤ人が持ってきたものを奪う理由を「ユダヤ人に奪われたものを奪い返す」と正当化し、180度違った理由をつけることで納得することができたり、ドイツ第三帝国が掲げた「危険な存在を排除する」というような大義名分があれば、どんなことでも忠実に実行することができる。

つまり、「ビジョンや目標がはっきりとしていれば、人間は困難なことでも実行実現することができる」ということ。男前でもなかったヒトラーがカリスマ性を示すことができたのは、きっとヒトラーの発するビジョンが市民に伝わったからでしょう。人を絶滅させるような恐ろしいことではなく、世のため人のためになるビジョンを持って困難なことにも励んでいきたいです。

アウシュヴィッツ 強制収容所

アウシュヴィッツに残された勇気ある話。
ドイツ軍占領下のデンマークでは、デンマーク人が協力して8,000人のユダヤ人を小さな船で中立国スウェーデンに脱出させたといいます。

リトアニアに駐在していた日本人外交官、杉原千畝(ちうね)さんは、ポーランドから逃げてきた6,000〜8,000人のユダヤ人に対して、本国外務省の命令に逆らいつつも日本通過のビザを発行して命を救ったといいます。

囚人が収容所内で生命の危険を感じながら撮った写真が見られます。それは歯磨き粉のチューブにネガを詰めて収容所外へ送った7枚の写真の一部だそうです。

ほかにも名簿や資料などを収容所外部へ送るなどの囚人たちの抵抗運動や、収容所から開放された人の中にいた画家のおかげで、当時の収容所内の様子が絵で見ることができるアウシュヴィッツ。

どれも人の勇気を感じます。


日本は、当時のドイツとイタリアと「日独伊三国同盟」を結んでいました。アメリカ、ソビエト、イギリス、フランスの連合軍に敗れてしまったのですが、もしドイツが勝っていたら・・・

アウシュヴィッツ殺人工場は続いていたのでは?

アウシュヴィッツ 強制収容所

そんなことを感じつつも、自分で自分の人生を決めることができる今の時代。

死にたくない、もっと生きたい!だからこそ毎日を大切に、やれることをしていきたいです。

きょうさん♂

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2006年09月13日
●収容所で思う戦争と人間

ポーランドの首都ワルシャワ[Warszawa]から列車で2時間半、そのクラクフ[Krakow]の街から西へ54キロ離れたところにオシフィエンチム[Oswiecim]という街があります。ドイツ名でアウシュヴィッツ[Auschwitz]と呼ばれる強制収容所があったんです。

ここは、昔から行ってみたい想いがありました。

学生時代にアウシュヴィッツのことを知り、(そんなひどい強制収容所があるんだ・・・)と関心を持っていました。

(実際に自分がその場所にいるとどんな気持ちになるんだろうか?)そんなことを考えていたんです。

アウシュヴィッツ 強制収容所

戦争の傷跡を残している国は、たくさんあります。しかし、爆弾などを使わずに、人間が、人間の手で強制的に殺害していた場所。それも150万人以上という想像しにくいほどの数を殺し続けていた場所、アウシュヴィッツ。

実際に訪れると、本で読むより、話を聞くより、やはり言葉では書き表しにくい感情がたくさん出てきました。

人間って、とても愚か。そして傲慢で、人間のおごりを利用したシステムのような気がします。また人間って、とても不思議なものなんだ、、、そんな感情も出てきました。

誰が決めたか分からない人間の優劣。

ナチス・ドイツのリーダーであるヒットラーは、アーリヤ人(ゲルマン人)の優秀性を維持するため、「ユダヤ人を排斥する」というイデオロギーにもとづいていました。

ヒットラーが筆頭ではあったものの、その考えを支えていたのはドイツの一般市民です。また、ユダヤ人狩りは、ドイツ国内だけではなく、ノルウェーや、オランダ、フランス、チェコなどその他大勢のヨーロッパの国々も協力していました。

ということは、ヨーロッパの人々の心には、やはり人間への優劣があり、ユダヤ人への偏見があったということが感じられます。

アウシュヴィッツ 強制収容所

確かに私も旅をしていて、「この街にはジプシーがいる」と聞くと、(スリに気をつけよう)と思います。いつの間にか「ジプシーは、人のものを盗る」というイメージを持っているように感じます。

このように、いつの間にかできあがるのか分からない人種へのイメージというものが、人間は持っているように思います。

今の日本国民の、北朝鮮へのイメージは、どうでしょうか?

北朝鮮へ拉致された多くの人が救出されたり、捜索されたりしているということで、新聞などのマスコミで取り上げられています。それによって、北朝鮮へのイメージも日本人にとってまた変わった人もいるのではないでしょうか。

「ユダヤ人だから、殺しても構わない」。

いろんな理由をつけ、ユダヤ人虐殺を正当化できた戦争。

アウシュヴィッツ 強制収容所

もうひとつ私をびっくりさせたのは、囚人が囚人を管理するシステムです。アウシュヴィッツには、平均13,000人〜16,000人の囚人がいたといいます。たくさんいる囚人。その中でも、差別があり、囚人の身分の差があります。

囚人服はみな同じなんですが、胸元には囚人番号とともにマークをつけています。例えば、赤三角は政治犯、桃三角は同性愛者、紫三角はジプシーなど。ひと目で、囚人を識別できるようにしていました。

身分の高い囚人は、ご飯を作る様な比較的体が楽な仕事をしていたようです。建設といった過酷な重労働は、死と隣り合わせです。仕事をしている囚人たちの見張りをしていたのも囚人、囚人が囚人を管理するというシステム。

そんなシステムを作ると、人間はルールを守ることが当たり前になり、ルールに疑問を感じる人も、反対の声をあげる人もいなくなってしまうようです。

残虐なアウシュヴィッツ。当時、ヒトラーが唱えた、「危険な存在を排除する政策」は、アウシュヴィッツに関わる人にとっては、疑問がなかったんだといえます。

しかし、戦後になり、世論がこのアウシュヴィッツの事実を知ると、捕まえられた人は、「ヒトラーに騙された」と言ったそうです。簡単に責任転嫁ができる戦争。

戦争だったから、、、、


アウシュヴィッツ 強制収容所

私には、戦争体験がありません。だから、戦争体験のある人がこのアウシュヴィッツを訪れたら、また感じ方が違うと思います。そして訪れたユダヤ人たちは、どのように感じるのでしょうか。

今回、アウシュヴィッツでガイドをされている中谷剛さんのおかげで、より深く多方面からアウシュヴィッツのことを知ることができました。本で読んでいたこととは、また違った角度から感じることができました。


この負の世界遺産は、これからの若い人々に受け継いでいかないといけないものです。そして、その歴史を私たちも背負い、同じことを繰り返さないようにしないといけません。
そして、私たちはこのアウシュヴィッツに訪れることができたことによって、こうしてホームページで紹介して、アウシュヴィッツの出来事を伝えることが使命だと感じました。


アウシュヴィッツ 強制収容所

イスラエルの戦争。

このアウシュヴィッツを見て、ユダヤ人が建国したイスラエルという国の戦争に、すごく心が痛い気持ちなりました。

ヒットラーは、第2次世界大戦まで権力とトップの座を手に入れたかもしれない。でもそれを支えた人々は、一体何を手に入れたのでしょうか?

戦争とは、ひとりで出来るものではありません。

戦争をしている国、人々は一体何を手に入れることができるのでしょうか?

アウシュヴィッツ 強制収容所

そんな疑問や人間の不思議さに驚くばかりで、私にとっても何も答えがでてきません。

ただこうして、幸いにも世界を周ることができているので、戦争の傷跡や世界の現実を少しでも多くの人に伝えることをしていくことが、私たち夫婦に今できることなんだろうと思います。

たかさん♀

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2006年09月12日
●日本人ガイド中谷剛さん

中谷さんがアウシュヴィッツ博物館の専属ガイドをされていることは、二人とも世界一周旅行に出発する前から知っていました。ホームページで、そしてガイドブック「地球の歩き方」にもご紹介されています。

アウシュヴィッツ 強制収容所

「アウシュヴィッツへ行ったら聴かせてほしい!」。

そう強く思ったきっかけは、今年の4月エジプトにいたころ。添乗員の大先輩monaさんから「中谷さんにご案内してもらうといいよ」と言ってもらった言葉でした。

ガイドさんのおかげで知識が深まることは、添乗員のころに感じていましたし、カイロの『エジプト考古学博物館』をmonaさん通じてあかねさんにご案内してもらったときにはつくづくそう思いました。

(せっかく行くんだから、知識を深めたい。。。)

ドイツのロマンチック街道を移動しているころに、中谷さんへメールを送らせてもらい、お忙しい中、すぐのお返事をいただいて、この日が実現したんです。

アウシュヴィッツ 強制収容所

9月12日にアウシュヴィッツでガイドを聴かせてもらったんですが、当初は11日で予約をさせてもらっていたんです。それがせかたび号修理の影響でオーストリアのウィーンを出るのが遅くなり、予約時間に間に合わないという結果になってしまいました、、、

「日程変更」の連絡をしなければ・・・

そう思いながらも、オーストリアのユーロも、途中通ったチェコのコルナも、そしてポーランドのお金もなく連絡できず、、、やっとポーランドで換金できて電話をかけたときには、すでにガイド開始の時間。留守番電話へのメッセージに吹き込むしかできませんでした。

遅れること2時間半、アウシュヴィッツに到着。

中谷さんのその日のご案内が終わるころにお詫びをかねてお伺いすると・・・

「大丈夫ですよ。気にしないでくださいね!」

ガイドが終わった直後だというのに、疲れたそぶりを見せないどころか笑顔で迎えてくれるんです。ほんと恐縮でした。。。

アウシュヴィッツ 強制収容所

同じ神戸出身の中谷さんは、ホームページの写真がやや古く?感じたからなのか、実際はさわやか体育会系!メールで人柄のよさを感じたとおり、とっても近寄りやすい人でした。旅のことも気にかけていただき大感謝です。

そしてご案内が聴ける日。

集まった日本人は学生さんを含めた9人。全員が30歳代以下。ガイド料金197ズウォティ(約7,500円)を9人でシェアして窓口へ支払い、中谷さんのガイドがはじまりました。

アウシュヴィッツ 強制収容所

前半は「ARBEIT MACHT FREI」の正門があるアウシュヴィッツ第1収容所。後半は7倍の広さがある第2収容所ビルケナウへ、合計約3時間。

アウシュヴィッツで何が起こったのかをはじめ、そのシステムについて詳しく聴かせていただきました。

ガイドブックなどで事前に知っていたこと以上の話が聞けたことも印象的でしたが、もっと心に残ったことは、アウシュヴィッツの出来事は決して他人事ではないということ。

人間の心理に関することや、ヒトラー政権が生まれた経緯は日本と同じ仕組みなので、日本でも十分起こりうるんですね。

アウシュヴィッツ 強制収容所

アウシュヴィッツには、ドイツやポーランドはもちろん、世界中から人が訪れています。絞首刑台のそばで、迫るソビエト軍に隠すため破壊したガス室のそばで、医者が人を選別した線路のそばで、ガイドさんの案内はつづいていました。

「歴史を繰り返さないために、歴史を学ぶことが大切」。

国籍を問わず、自分の国をよくするために、世界を平和にするために、アウシュヴィッツから何かを学びに来ているように見えます。

アウシュヴィッツ 強制収容所

アウシュヴィッツに来る前から、(アウシュヴィッツを歩いたら、何を感じるんだろうか?)と気になっていました。

中谷さんのガイドを聴いて、ひとりの人間が感じることや思うことはそれぞれ違っていても、各自ができることはたくさんあるはず・・・そんなことを感じています。

中谷さんが言っていました。

「力(チカラ)を入れてないときのほうが伝わることもあるんですね」。

逆に気合いを入れすぎて伝わらないときもあるとか。人が何によって感じるかは、人それぞれに違うんですよね。それだけに、聴いたことだけでなく、自分が何を感じるか?そんな感情に耳を澄ませることも大切なんだと思います。

アウシュヴィッツ 強制収容所

「僕はこう思う」、「私はこう思う」。

自分の意見が自由に言える今の世の中。これだけでも幸せなことなのかもしれません。

「問題意識を持ち、問題解決に努められるようになりたい」。

中谷さんに会えたおかげでそんなことを思っています。どうもありがとうございました!


●中谷剛さんの連絡先などホームページはこちらです。


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