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 ホーム > 旅人エッセイ > 人間の魅力
2007年11月01日
●じき一年。今だ苦戦中!


ご存知のとおり、ニュージーランドは英語圏です。

「海外添乗員していたんだから、英語はペラペラに話せて、楽勝でしょう!?」なんてよく言われるんですけど、私の英語力のひどいことなんの、、、

海外添乗員をしていたころは、それなりに何とかやってきたつもりだし、これまで海外旅行もよくしてきました。

だけど、(英語ができない)ってことが、ずっとプレッシャーでした。

歳をとるにつれ、ますます覚えることがニブくなっていくと感じていたこの頃。

どうやったら、英語が話せるようになるのか?っと考えた結果、語学学校に通うことにしたんです。

オークランドには、語学学校がたくさんあります。無料体験として7校ほど見学にいきました。それぞれに違った雰囲気やサポート体制があり、いろいろ迷いもしましたが、私が選んだのは、◆APIという学校です。決め手となったのは、授業料でした。

世界一周旅行で貯金がスッカラカン(笑)になってしまった私たちの家計。授業内容や先生の質もちゃんと考えないといけないけど、支払う授業料がいくらなのかは重要な死活問題でした。

もちろんそれだけではなく、APIの学校の雰囲気や日本人スタッフの援助、そして、私がこの学校で‘学びたい目的’が達成できる環境かどうか?ということも大切でした。

自分が通っているからかもしれないけど、このAPIの学校を選んでよかったと思っています。それは、学びたい!って努力している生徒さんが多いし、先生方はどうしたら学べるか?という環境を作ろうとしていることがわかるからなんです。

この歳になれば、語学学校内では最年長者。若い子たちに混じって勉強しているけど、覚えが悪い私、、、これって、歳のせい?ううーん、年齢のせいにはしたくない! でも時々、自分のデキの悪さに泣きたくなるときもあります。

「あなたの言っていることがわからない〜」。

何回、聞かされたことでしょう。

今まで、英語でずい分悔し想いをしてきました。

でも今は、英語から逃げちゃいけない!逃げない!って決めています。だって、私が次にやりたい夢には英語が必要なんだもん。

泣いたっていいし、辛い想いをいっぱいしてもいい。そんなことは、自分の夢に比べたら、ちっちゃなこと。

そんな風に自分で励ましながら、きょうさんに助けてもらいながら、頑張っている私です。

やる気だけは人一倍!がんばります♪

たかさん♀

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2007年10月17日
●二度と繰り返してはいけない、人間の責任

2007年6月23日から10日間、ニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた「ユネスコ第31回世界遺産委員会」。そのころ、クライストチャーチにいたので、街にユネスコのマークが書かれた横断幕が揚がっているのを見かけていました。

その世界遺産委員会で、ひとつの登録名称の変更が承認されました。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ − ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所 [ Auschwitz Birkenau - German Nazi Concentration and Extermination Camp ] 」(1940-1945年)です。それまでは、「アウシュヴィッツ強制収容所 [ Auschwitz Concentration Camp ] 」。戦争を知らない世代が、「アウシュヴィッツの所在地はポーランド」と聞いただけで事実を誤解する可能性が出てきたからです。【参考サイト/UNESCO(英語)

アウシュヴィッツで起きたホロコースト。
この第二次世界大戦の出来事は、ほんの60年前のことだけに、今の時代でも起こりうる可能性があるかもしれません。僕らが考えなければならないこと、果たさなければならない責任をもう一度考えてみます。


ホロコーストとは、狭義にはヒトラー政権下のドイツおよび、その占領地域においてユダヤ人などに対して組織的に行われたとされる絶滅計画を指す。参考サイト/ウィキペディア

世界に数多くある世界遺産のうち、唯一、‘負の世界遺産’として認定されているアウシュヴィッツ博物館。アウシュヴィッツを訪れることは、僕らの世界一周旅行における目標のひとつでした。

2006年9月。
(100万人を超える人々が殺された場所はどんなところだったのだろうか?)(その背景には何があったのだろうか?)。そんな興味を抱きながら訪れた、アウシュヴィッツ。

あまりにも多い犠牲者のたちの遺留品に唖然。殺風景なベッドやトイレ、不自由なく生活している者にとってはここでの暮らしが想像しがたく、言葉を失っていました。また、アウシュヴィッツ博物館を案内してくださったガイドさんのおかげで、こうしたことが5年も続いた背景や今の時代でも起こりうることを聞かせてもらい、衝撃を受けたと同時に深く考えさせられた時間でした。
せかたび日記<2006年9月> / ●アウシュヴィッツの事実、●アウシュヴィッツの教え、●収容所で思う戦争と人間、●日本人ガイド中谷剛さん


日本語で案内してくださったガイドの中谷剛さんが、アウシュヴィッツに関する2冊目の本を出版されました(2007年10月)。アウシュヴィッツを訪れた日からおよそ一年が経ち、聞き逃してしまっていたかもしれないことが知りたくて、その本を手にとることができました。

アウシュヴィッツでのガイド歴が10年となる中谷さん。「わかりやすい説明を心がけている」というお話の通り、読みやすく書いてくださっていました。特に、歴史の証人としての元収容者の体験談は、そのときの様子が目に浮かぶような描写で、身を硬直して読み進めていました。

囚人名簿記載係の仕事をしていた体験者の方は、アウシュヴィッツに到着した貨物列車から2000人近くが降ろされたのに、囚人番号を渡されるのは500人程度しかいないと気づきました。そのことから、到着後すぐに殺された人が大半であることを感づいたそうです。ガス室や焼却炉の作業を任されていた人と同様に、(やがて自分も証人排除として殺されるときがくるだろう)と死を意識していたそうです。

それでも、死の恐怖を跳ね返そうと、冗談を言い合ったり、歌を歌いあったり、また画家の収容者は絵を書いたりして、仲間同士で奮起しあっていたといいます。奇跡的に生還でき、「二度とこのような歴史を繰り返さないため」に、アウシュヴィッツを次世代に伝える活動をされています。


自分の死が他人の意思で決められるなんて想像ができません!自分の想いを発言しやすい今の時代ですが、やはり幸せに生きていられることに、まず感謝です!
生きること。でも、生きるだけでは物足りない。何かをしていたい、何かを創っていたい、それが自分のためにもなり、また人のためになるのなら、なおうれしいことです。

そう考えると、人の役に立っている!と感じられるときが、一番幸せな気がします。

インターネットが普及する情報化社会。言い換えれば情報が交錯する時代ともいえます。Aの意見と、Bの意見が出て当たり前です。それだからこそ、自分はどんな意見を持っているのか、Cという意見を提案したり、AやBを加味した方向性を提示する力が必要な気がします。悩んだときは、それで人様が喜ぶのだろうか?と観点を変えてみたり。試行錯誤を繰り返すのが人の生き様のように思います。


「戦争は反対!」。そう平和を願う人が多い世の中であっても、世界の各地では戦争が起き、身の回りの生活でも、人同士の争いは絶えません。ヒトラーが日本と同じ民主主義社会で首相に任命されたように、民主主義社会だからこそ、人任せにはできないという自覚や責任を持つ必要があると考えています。

アウシュヴィッツの学びは、決して他人事ではない。そのことを肝に銘じていきたいです。ふたたび刺激をくださった著者の中谷さんに感謝です。ありがとうございます!


アウシュヴィッツ公認ガイド試験の様子やエピソードの数々など、中谷さんの豊富な体験談も興味深かったです。


きょうさん♂


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2007年08月11日
●日本滞在のうれしい再会


きょうさんがニュージーランドへ一足先に戻ってから4ヶ月弱。主婦業から開放され、独身時代を満喫していました。でも、きょうさんとこんな長い間離れるのは、初めて!ちょっと寂しいときも。

それにしても、いまの時代は便利ですね。「スカイプ」というインターネット電話を使えば無料で国際電話ができるんですね。1時間話していたって無料!声も鮮明に聞こえるし、ほんと日本に近くにいるような感じです。

日本にいた3ヶ月はあっという間でした。
友人たちや、世界一周の旅先で出会った知人たちに再会でき、とてもうれしかったです。また懐かしい再会もありました!きょうさんと一緒に働いてた派遣会社時代。私たちが募集したり研修したりして、育成させてもらった添乗員さん二人との再会です。


私ときょうさんの仕事は、いわばトレーナー。

「添乗員になりたいんです!」という方々を面接をして、添乗員研修をして、その後旅行会社へ派遣するという毎日でした。添乗員は、誰にでもできる仕事だと思うんですが、言葉遣いのなどの一般常識にはじまり具体的な業務などを伝えていくので、実際にお給与を稼げるようになるまで、3週間前後の期間は必要です。

(旅行業界は華やか!)そんな憧れと現実の大変な部分を目の当たりにして、「私にはできません、、、辞めたいです、、、」そんな風に毎日相談される週もありました。

教え子と呼べるほど私たちは偉くはありませんが、自分たちなりに、時間と魂をこめて育ててきた気持ちはあったので、彼たち彼女たちが辞めていってしまうのは、精神的にとてもつらかったです。(どうすれば長く勤めてもらえるのか?)そんな話を、きょうさんや他のスタッフと話し合った日々は今でも脳裏に焼きついています。

日本で再会した彼女たちも、決して長い期間一緒だったわけではありません。今の彼女たち。一人は他の派遣会社でしっかりと海外添乗員をしています。もう一人は、添乗員時代に添乗先イタリアで知り合ったイタリア人と結婚して、今はイタリアに住んでいます。

その二人が言ってくれました。

「今の私たちがあるのは、きょうさんとたかさんに出会えたからです。あの会社で添乗員としての基礎を教えてもらったからだと思っています」。

私はそれを聞いて、涙が出るほどうれしかったです。

私たちの会社では海外添乗員として派遣してあげることができなかった。それでも彼女たちは、自分たちの目標を持ち続けて、ずっと憧れていた海外添乗員として活躍していたのです。夢や目標を達成していた彼女たち。その夢の途中に、少しの間だけでも関われたことをとてもうれしく思います。私のほうこそ、夢を応援できる仕事をさせてもらって幸せでした・・・ありがとう!

トレーナーとして働いていた私ときょうさん。研修方法についてなど、毎日のように喧嘩していました。それでも、私たちが出会えたのも、この会社のおかげです。あのころのことを懐かしく思い出しました。

その会社に中途入社したとき。社長から「あなたの夢は何ですか?」という質問がありました。

私が書いたは「世界一周旅行」。

きょうさんも同じく「世界一周旅行」と書いていました。まだ結婚する予定もなかったころだけど、こうして世界を旅してきた今、「夢は実現できるもの」と心から思います。

私たちもまだ夢を叶えようとしている途中。。。

自分たちを信じて、周りに感謝して、がんばっていきたいです。




たかさん♀

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2007年08月07日
●たかさん♀の再スタート


「夫婦で世界一周旅行されて、すごいですね!」

旅先で出会った人にそう言われることが、とても辛かったんです。

「私はすごくない、、、きょうさんはすごいけど、私は何もしていない。ただ、きょうさんに付いて来ただけだから・・・」そんな劣等感の塊だったんです。

世界一周旅行は、ものすごく楽しかった。それは、今まで私がしてきた旅とは全く違うスタイルだったし、スリルがあったし、新鮮で、またきょうさんの素晴らしい人間性に気づいたり、新しい発見の連続に頭がついていかなかったりするくらい刺激的でした。

でも、旅を中断し、いざ海外生活をはじめて、毎日を暮らしていると、一緒にいるきょうさんの成長ぶりを目の当たりにして、自分と比較してしまっては、自己嫌悪に陥っていました。この「せかたびサイト」だって、きょうさんがいないとここまで続けられなかった。ヨーロッパでの車の旅も、写真撮影も、ニュージーランドで生活できたことも、世界一周旅行のセミナーができたことも、、、すべてきょうさんがいないとできなかったこと。

いつも前向きなきょうさんと、立ち止まっている自分の違いが、日本で生活していたときよりも旅をしているときのほうが露骨に見えてしまうんです。

そのことをきょうさんに相談すると、「たかさんのおかげでできてるわけやし、夫婦やねんから比較することはないやん〜」って言ってくれるんだけど、自分が自分らしくなくなっていく気がしてたんです。だからそのときは、日本にすごく帰りたかった。一時帰国して気持ちを整理して、リフレッシュしたかったんです。

そして、もうひとつ私を悩ませていたものは、当初は、バックパッカーを背負いながらの世界一周旅行。でも、旅をしている状態ではじめたニュージーランドの生活が、英語の壁に悩まされ、物価高に悪戦苦闘し、生活環境の違いに驚き・・・。気がつくとあこがれていたはずの海外生活なのに、愚痴を言っている自分がいたんです。

どこでもそうだと思うけど、海外生活は憧れだけじゃ生活できない。日本にいるよりも、いろんなことに気を遣い、頭を使い、身体を使い、何倍も大変です。単に、環境がいいから、自然が多いから、気に入ったから、では生活ができない。「海外旅行」と「海外生活」は、まったく違う。そんな甘さに、遅ればせながら気がついたんです。

私の気持ちとして、日本へ一時帰国するというのは、重要な意味がありました。ようやく気づいたことは、私には、「海外で生活するという覚悟ができていなかった」こと。日本滞在1ヶ月目くらいで、ようやく「私はニュージーランドで生活するんだ!」という覚悟ができてきた気がします。

そう感じたのは、きょうさんと離れていたおかげかもしれないし、自分の頭で考えつづけて、なぜ海外で暮らしたいのか?ニュージーランドで暮らしたいのか?もう一度その意味をちゃんと考えることができたからだと思います。

いざ覚悟をすると、不安がなくなっちゃいましたね。英語の勉強もするようになり、本を前よりたくさん読もうと思った。私にとってホントの新たなスタートが出来たような気がする。

これからもきょうさんとは、刺激し合える仲でいたい。夫婦をよく例える「お互い空気のような存在」にはなりたくない。だってお互いの新しい部分を発見しあって、お互い成長しあってこそ、「おっ!?こんな一面もあるんだぁ〜」って思ったり、自分もがんばろう!って思える気がします。そうやって、お互いの知らなかった部分を発見することは、いつもドキドキしていられます。そんな夫婦でありたいと思っています。

日本を離れるのはちょっと寂しいけど、いま私がいたい場所は、やっぱりニュージーランド!何かをしようと行動するときに一番大切なものは「覚悟」。「覚悟」ができれば、あとはやるだけ!

がんばるぞー!!




たかさん♀

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2006年12月15日
●待ってくれてる人がいる


オークランドで働き始めたある日。

社用車を運転して、空港へお客様を迎えに行きました。

空港ってあんまりいいイメージがないんですよね。ヨーロッパステージが終了したあと、アジアを旅するのに、何度も飛行機を利用しました。到着ゲートを出た瞬間から近寄ってくる客引きの数々。「どこへ行くんだ?」「タクシー安いよ」。できるだけ早く脱出したいのが空港の印象だったんです。記憶にある限り、人を迎えに行くなんてはじめてのこと。(ちゃんと会えるかなぁ〜)そんなことを思って待っていたんです。周りには、僕と同じように誰かを待っている人たちでいっぱい。家族なのか、恋人なのか、仕事仲間なのか、いろんな人が(まだか、まだか?)と心配そうに到着ゲートのほうを見ているんです。

それで、お目当ての人を見つけたら、表情が緩むんですよね。とびっきりの笑顔になったり、大きく手を振ったり。そして近寄って、握手したり、ハグしたり、キスしたり〜 

それまでぎゃんぎゃん騒いでいたヤンチャ坊主が、おばぁちゃんを見つけた途端走って行って抱きつくんです。そんなシーンを目の前でいくつも見ていたら、泣けてきちゃいました。

(家族っていいなぁ〜)
(待ってくれている人がいるっていいよなぁ〜)
(人ってありがたいよなぁー)

僕が待っているのはお客さんなんですが、はじめてやって来るニュージーランドを安心して過ごしてもらえるように、ある意味家族のように大切に接しなければとより気合いが入ったもんです。

自分にとって大切と思える人がいる。

それだけで幸せですよね。


きょうさん♂

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2006年11月17日
●私達の豪州ワーホリ生活

世界一周旅行では、オーストラリアへの訪問を計画に入れませんでした。それは、7年前(1999年)にふたりともワーキングホリデーで渡豪していたから。お互いが知り合う前のことですが、「充実していた!」と、振り返る当時の日々。「私たちはどんな生活をしていたのか?」振り返ってみます。


【たかさんのオーストラリアワーホリ生活】

オーストラリアへは、ワーキングホリデービザを取って、25歳のときに行きました。現在は「30歳まで」が取得できるようですが、当時は「25歳まで」という制限がありました。

(海外で生活したい!)そう思っていた私は、(26歳の誕生日を迎えるまでにビザを取らなきゃっ!)と、25歳のときにワーホリビザを取って、両親の大反対を受けつつ、オーストラリアへ飛びました。

行った街は、西海岸にあるパース。1ヶ月間はホームステイをしつつ、語学学校へ通い、次の5ヶ月間は、日本食レストランで働きながら、オーストラリアの西海岸を旅していました。あとの半年間で、タスマニアなどほかの都市を訪れたり、途中のケアンズで、やりたかった現地ガイドの仕事をしたり、また、ニュージーランドへ行ったりもしました。

楽しくて、楽しくて、毎日充実した日々を送っていたことを覚えています。

私は、オーストラリアへワーホリに行く目標を「4つ」持っていました。

1.オーストラリアとニュージーランドを1周すること。
2.現地ガイドの仕事をすること。
3.ボランティアをすること。
4.現地に在住している外国人の友だちをつくること。

これらは、すべて達成できたんですが、4番目の外国人の友だちとは、日本に帰国して数ヶ月後には、音信不通になってしまいました。そのころは、パソコンがなかったこともあり、手紙のやり取りはハードルが高かったですね。

ワーホリ中、英語の勉強は、ほとんどしませんでした。

目標にも入れてなかったんだけど、英語を勉強するんだったら、きちんと留学して、朝から晩までしっかり英語の勉強をしないと、日本人が多い国では難しいだろうと思っていたから。

だから、オーストラリアでのワーホリ中は、「一人旅を満喫する!」「人生勉強する!」そんなことを考えていたんです。

英語で苦労したことは数え切れないほどあるけど、添乗員時代に「会話はできなくても、旅はできる」と思っていたので、英語は旅をしながら覚えていっていた気がします。

一年のワーホリ生活を終え、日本に帰ってきた私。

家族から言わせると、変わったようです。「ガツガツ生きているような感じ」がするらしい。。。

一人旅をしていると、自分の人生を一生懸命考えようとします。時間がいっぱいあるからかな? 私は、失恋の痛みもあったものの、ひとりで生きていけるくらいの精神力と強さを持とう! なんて思っていたし、やりたいことはやらなきゃ損だ!なんて、すごく強気で、貪欲に生きていたように思います。

私は、ワーホリってすごくいいシステムだと思う。
今では、もっと多くの国から選べることができるし、30歳までワーホリビザが取れる国も増えました。私は、その年齢でしか得ることができないこのビザを、大いに活用するべきだと思います。

旅は、人を成長させてくれる。「かわいい子には旅をさせよ」という名文句もありますしね。

やっぱり、「何をしにワーホリへ行くのか?」。目標を具体的に持って、次に続けられるようなことに挑戦するのも大事だと思う。

「ワーホリで何かを見つけに行く」という人もいるけれど、日本で見つけられないものを、海外で見つけるのは難しいような気もする。

そうは言っても、ワーホリへ行ったら何とかなります。ただ、日本で準備をしていた方が、もっと判断材料が増えることは、間違いありません。

私は、これからの若い人にも、たくさん世界へ出て、いろんなものや人を見て欲しいと思っています。これからの日本は、私たちが担っていくのだから・・・。大きな視野を持ち、国際感覚をもって、これから大変だといわれる日本を支えていかなければなりません。

時代とともに、簡単に行くことができ、近く感じるようになった世界。行きやすい分、危険も増えるから、自分の身は、自分でしっかり守るという意識も大切です。。

これからワーホリに行かれる方も、「命」そして、今しかできないという「時間」を大切にしながら、いっぱい旅を楽しんでほしいです。

たかさん♀


【きょうさんのオーストラリアワーホリ生活】

僕の豪州ワーホリ生活は、ゴルフ漬けでした。

(プロゴルファーになるために、ゴルフ修行するにはどこがいいんだろう?)

オーストラリアだけでなく、アメリカへのゴルフ留学も候補に入れていたので、当時勤務していた旅行会社の夏期休暇を利用して、サンフランシスコやサンディエゴへ見学にも行きました。環境は素晴らしかったけど、予算が合わなかった、、、

世界でもトップクラスのゴルフコースが集まるオーストラリアのメルボルン[Melbourne]。ゴルフコースの会員にも比較的簡単になれるし、自分でアパートを借りることもできる。ワーキングホリデービザを活用すれば働くこともできる。そんな理由で、オーストラリアへ行くことにしたんです。1999年3月に渡豪。

着いた日に12万円くらいで車を購入。三菱の中古車でした。そして数日後には、超速グリーンで有名なゴルフコースの会員になることができたのです。平日5日間会員は、一年間11万円相当を払えばプレーフィーは一切タダ! 日本では考えられませんよね。。。日本人のメンバーさんはまったくおらず、オーストラリア人ばかりに囲まれる環境。僕の羽茶目茶英語でも、がんばって使うしかありませんでした。

スコアカード5枚提出した最初のハンデキャップは「8」。10月のオーストラリアンツアーカード(プロテスト)を受けることができるのは、ハンデ「2」のプレイヤーまで。そこから練習の日々がはじまりました。

夕方になると、スポーツクラブへ通って筋力トレーニング。お風呂(ジャグジ)に入れるのも魅力でした。夜は、日本食レストランでアルバイト。英語の勉強になったことはもちろん、刺身の切り方、巻き寿司の作り方にはじまり、竜田揚げ(唐揚げ)や天ぷら、照り焼きなどの日本食の作り方を知ることもできました。オージービーフはうまいし、アイスクリームも安い。‘ティムタム’のビスケットはやめられないし、牛乳をガブガブ飲んでいたら、あっという間に太っていきました(笑)。

メルボルンから出ず、観光を一切していない毎日。カメラを持っていても、使わないから、フィルムが減らないんですよね(当時、デジカメはなかった)。それくらい、ゴルフ場 → スポーツクラブ → 日本食レスト ランしか行っていない毎日。

47australia.jpg好きなゴルフが、とことんできる。今、思い出してみても幸せな日々を過ごしていました。

ゴルフ場では、たくさんのメンバーさんと友だちになれました。競馬場で着番確認の仕事をする人に競馬場へ連れて行ってもらったり、オージーフットボールのプレイヤーに、観戦に連れて行ってもらったこともあります。専門学校の先生や、ゴルフコースのグリーンキーパーさんのおうちへディナーを招いてもらったりもしました。大して英語が話せるわけでもないのに、異国の日本人を、ずっと前からの友だちのように付き合ってくれる彼ら。ありがたかったです。

「8」→「7」→「6」→「5」→「4」→「3」。
徐々にハンデを下げ、プロテストの申込みが間際に迫った9月、ようやくハンデが「2」になりました。そして10月。ゴールドコーストで行われるプロテストへ向かったのです。さて、結果は・・・

まぁ、合格していれば、今の僕はいないわけで(笑)、あえなく落ちて、メルボルンに戻ってきたのでした。涙が出なかったのは、本気さが足りなかった?ことと、あまりにも実力の差を感じたから。世界の壁は厚かった、、、プロの世界はハンパじゃありませんね。。。

2000年3月にワーホリビザが切れるまで、ゴルフコースでゴルフを楽しんでいました。でも時間を作っては、エアーズロックへ行ったり、スキューバダイビングの免許を取って、キングアイランドへあわびを獲りに行ったり、タスマニアを車で周遊したり、パースへ行ったり。すべてが思い出深いもので、カメラのフィルムは、あっという間になくなっていきました。

大自然の国、オーストラリア。

僕は、ワーホリでどんなことを得られたのでしょう?

ゴルフの実力が上がったことは間違いありません。それ以上に、オーストラリア人と過ごせたことが学びだったように思います。

いつも明るく笑顔。あいさつする。楽しいことが大好き。褒める。教える。習う。言うべきことは言う。聴きたいことは尋ねる。自分で作る。用意周到。人を招く。家族を愛する。他人を受け入れる。。。

日本食レストランでのアルバイトを通じても、シェフのプロ意識をはじめ、オーナーの経営思考まで勉強になりました。

行ってよかったワーホリです!

「プロゴルファーになる」という夢は叶いませんでしたが、その道を目指す過程、また付随する部分で得たことは数多くあります。今となって役立っていることも十分にあります。目標に向かって一生懸命になることは、結果的に自分の糧になることだと思います。

ワーキングホリデービザは年齢制限がありますが、オーストラリアに限らず、ニュージーランドやカナダなどでも取得することができます。人に出会えば、出会った分だけ学べます。吸収できたり、刺激をもらうことができます。外国人はもちろん、海外で出会う日本人からもいろんなことが学べるでしょう。長期滞在できるワーキングホリデービザを大いに利用して、自分の夢にチャレンジしていってほしいです!

きょうさん♂


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2006年11月07日
●悪夢のあの日から、一年

ちょうど一年、経ちました。

2005年の11月7日。私たちにとって忘れられない日なんです。

昨年のこの時期は、ヨーロッパを車(せかたび号)で周っていて、とても楽しい毎日を送っていました。しかし、フランスのニースにあるカルフールショッピングセンターの駐車場で車上荒らしに遭ってしまったんです。

朝の9時の開店に合わせて入店し、9時40分までの40分間、私たち二人で朝食を買いに行っている間のことでした。

犯人はプロらしく、私たちが車に戻ってきたときには、荒らされた形跡もなく、初めは被害に遭ったことに気づかなかったくらいです。そして、その40分の間にシティバンクのローンクレジットを50万円引き出されました。暗証番号を知らないはずなのに・・・。

盗まれたリュックには、現金・トラベラーズチェックや、パソコン、カメラなど大切な貴重品が山のようにありました。いま思い出しても、何で置きっぱなしてしまったのか? ホント、バカみたい、、、

そして、大切な写真や出会った人の思い出リストまで。

被害総額、およそ200万円のうち、トラベラーズチェックや携行品損害は、かけていた保険で戻ってきてくれました。でも、旅で知り合った人たちの手紙や住所、そして、旅の思い出でもある写真は、戻ってきません。きょうさんと大泣きしたことを覚えています。

一時帰国をして、保険などの手続きをしたり、短期で働いたりして、3ヶ月経った今年2月に再出発しました。

今思うと、その再出発にとても意味があるような気がします。1年前の出来事だけど、しっかり二人とも心に刻まれています。明らかに、再出発後は、貴重品の管理方法を変えたし、現金を持たず、クレジットカード中心にしたことや、どこへ行くときも、パソコンとカメラは、肌身離さず持ち歩くようにしています。

そして、私たちのようなトラブルに遭ってほしくないので、出会った人に話したり、『海外旅行のための防犯対策情報』としてホームページを公開しています。

旅って、すっごく楽しいけれど、トラブルとは、表裏一体。それに、いくら自分が安全に気をつけていても、相手から来る場合もあります。そんなことばかり考えていたらきりがないけど、危機管理を持つことは大切だし、少しでも注意することで、旅中の言動って変わってくると思います。
今では、再出発して良かったと思っています。旅に戻らず、日本で生活していたら、不完全燃焼のままだし、トラブルで旅が終了なんて、あと味が悪いですもん。。。

再出発できたおかげ、悪夢の経験を活かして、旅をより楽しく感じ、過ごすことができるようになりました。チェコで2度目の車上荒らしに遭いましたが、トラブル処理もしっかり落ち着き、その後の対策をすぐに前向きに考えられるようになっています。

人間は、学んで、成長できるんですよね!

旅をすると人間は、今より、もっともっと大きくなれるような気がします。

「お家に着くまでが、ご旅行です。。。」と、添乗員時代はよく言ったものです。これからも気を引き締めて、旅を続けていきます!

たかさん♀

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2006年09月26日
●34歳誕生日を迎えました

とうとう来てしまった、、、34回目の誕生日。(歳はとりたくない!)って思うにつれ、歳をとるのが早くなっていくような気がします。。。

昨年の誕生日はイギリスのロンドンにいました。出会った人たちと一緒に日本料理で祝ってもらったんです!すごくうれしかったなぁ〜

今年はタイのバンコク!きょうさんと私と、そしてもう一人の男性と一緒の三人です。

彼は無帰国で2年もひとり旅をしているツワモノ。ハンガリーのブタペストで出会ったのがきっかけで、たまに連絡を取り合っていたんです。エジプトにいたはずの彼がなぜかバンコクに。それも同じ日に!ビックリしました。

特に約束した訳でもないので、すんごい縁を感じましたね!一見強面?にも見えるんですが、内面は素直で真面目でちょーいい人!縁ってすごいなぁ〜と思う日でもありました。

誕生日。きょうさんは毎年カードをくれます。

今年もオーストリアのグラーツで、私が友人に買おうかどうか迷っていた素敵なポストカードをいつの間にか買ってくれていたんです。砂漠のような砂浜に映されたふたりのシルエット。未来を見ているような雰囲気がするカードなんです。そのカードに、いまの旅の想いと未来のことが書かれていました。


さてさて、今年の抱負は・・・

やはり夢に一歩でも近づきたいので努力をして行動することですね。

この世界一周旅行に出発したことで、私の夢やきょうさんの夢が具体的になりました。それは、自分たちの好きな国でペンションを経営したい。

旅には、絶対に必要な宿。私の旅の思い出は、人との出会いが大部分を占めているんですよね。

そんな素晴らしい旅。今度は旅を応援する側になって、(恩返しをしたいなぁ〜)なんて思っています。

旅とは本当に疲れます。荷物の重さ、言葉の壁、人とのコミュニケーション、健康管理、安全管理。。。

そんな疲れを癒してあげれるペンションを目指したい!そのために一歩近づける努力をしていくことが今年の抱負です。

たかさん♀

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2006年05月16日
●世界一周旅行出発一周年

(世界一周旅行をしながら、私たちの住みたい国が見つかればいいね〜)

そんなことも思って出発した世界一周旅行。もうすぐ一年が経ちます。
海外で暮らすなんて、そんなに簡単なことではないのは、もちろん承知。それでも、そんな想いを二人で持って、いろんな国や街を歩いてきました。

出発当初は、出会った人に自分たちの夢のことを話すことはなかったんです。恥ずかしかったのか、自信がなかったのか分かりません。。。 でも一時帰国をすることになり、再出発してからは、よく人に話すようになりました。まだ確証はないんですが、どこにチャンスや情報があるか分からないので、発信しておきたいと思っているんです。

でも人に話すと、応援してくれる人がいれば、否定する人もいます。

「甘い!」「覚悟できているのか?」「日本のことどれだけ知ってるのか?」「英語もできないのに!」などなど、、、

その度に、私はしっぽを巻いて逃げ出したくなってしまうんです。そんなとき、きょうさんと一緒でよかったぁ〜っと思います。言い返せなくて悔しかったりするけど、それが(なにクソぉ〜)という二人のエネルギーになるからです。

私たちは、実現できない理由を数えるよりも、どうしたら夢を実現していけるかを考えていきたいのです!

そんなとき、立ち寄った日本人宿で偶然見たNHKテレビで「のっぽさんが、歌を出しました!グラスホッパー物語」。という声が聞こえてきたんです。ほんの少しだけ曲も流れました。その曲を聞いて、少し勇気が出ました。でも、残念ながらすべての歌詞は分からないので、もしご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。励みのひとつにしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

メールはこちらです → mail@sekatabi.com


世界一周旅行は私たちの夢のひとつでした。
次の夢は、海外で生活すること、起業することです。この夢は、もしかしたらまったく実らないかもしれない。でも、ひとつだけ言えることは、失敗しても、後悔はしないということです。そして、その失敗を次のエネルギーに変えられることです。

世界で夢を実現している人にたくさん出会いました。夢を実現しようとがんばっている人にもたくさん出会いました。逆に、夢を持つこともできないような国もたくさん見てきました。

夢を持つこと、夢を実現できる環境にあるのは、間違いなく先進国です。発展途上国では、夢を持つ前に生きることが大切なのです。私たちは、運よく夢を叶えられる国、日本に生まれてきました。そして、家族や友人のおかげで夢を実現できる環境にいられると思います。

こんな奇跡に近い確率で生まれ、育ってきた私たち。

だから、頑張らないとバチが当たっちゃいます。一生懸命生きないといけない。挑戦しつづけないといけません。でないと、生きたくても生きられなかった人たちに顔向けできません。

世界一周旅行をして、いいこともたくさんあったけど、辛いこと、涙を流したこともあります。でも、出発して本当によかった。。。何よりも夫婦のきずなが強くなったようでうれしいです。

たかさん♀

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2006年04月14日
●Hello、ハロー、はろ〜

エジプトの街を歩いていて、一番よく聞こえてくる言葉。

それが、「Hello」でした。

ボクらに対して言ってきているので、聞こえてくるというより、言われているという感覚なんですが・・・。

どの国でも観光地を歩いていると声をかけられます。でもそれは「お土産物を見て行ってよ」と誘われることなんですよね。旅行者なのでお店の人に声をかけられるのは当たり前。それが、エジプトの場合はちょっと違うんです。

お土産物屋さんといったお店の人に限らず、いろんな人が声をかけてきます。特に子どもたち。とびっきりの笑顔で「ハロぉ〜」と言ってきます。ボクらも笑顔で「ハロォ!」と応えるんですが、それで終わりません。また「ハロぉ〜」と言って来るんです。その繰り返し。あんまり続くと(ほかの言葉は知らんのかい!?)と思ったりするんですが、どうやら「お小遣いちょうだい!」の意味だったりするようです。

カイロのシタデルや、ルクソールのカルナック神殿では、社会見学に来ている小学生の子どもたちに会いました。それはもう、珍しい外国人を見つけたかのように、クラス全員が「ハロぉ〜」と言ってくるんですよ。まるでホームランを打った選手がベンチ前で皆に迎えられるような雰囲気です。

特に女の子からの「ハロぉ〜」は多かった。ボクらが応えると、次に出てくる言葉は決まって、「What is your name?(あなたの名前は何ですか?)」。ボクらが応えると、彼女た ちも自分の名前を言って、笑顔で去っていきます。これって、授業で習っているの?って思うほど、決まり文句になっているみたい。彼女たちはそんな会話を楽しんでるようでした。

エジプト人男性の場合、またパターンは違ってきます。「ハロ〜」は同じですが、さすがに名前は聞いてきません。代わりに、どこの国から来ているのかと尋ねられます。顔から見てアジア人と察しはつくようで、「チャイニーズ?コーリヤ?ジャパン?」ってな感じです。ボクらが、「ジャパン」と応えると、次に聞かせてくれる言葉は、決まって「コンニチハ」。そして「サヨウナラ」と続け、ニコっと笑って去っていきます。

彼らは商売人ではないので、何かを買ってもらおうという意味ではありません。エジプトにやってきた旅行者との会話を楽しむかのように、笑顔でコミュニケーションしてくれます。もちろん、中には商売人もいるので、ボクらも見極めが必要です。でも、一般的にエジプト人は、相手との間に壁がなく、おしゃべりが盛んで、すぐにお友だちになれるような雰囲気があるように思いました。

「Hello!」、「ハロぉ〜」、「はろぉー」。

年齢によって、言い方はいろいろです。でもエジプト人の「Hello」を聞くたびに、コミュニケーションは、いつでも、どこでも、はじめられるんだなぁ〜 と感じます。

ぜひまたやって来て、過ごしてみたい国です。

きょうさん♂

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2006年03月05日
●だから私たちは登ります

【たかさん編】

タンザニアに来たのは、二度目。一度目は三年前、タンザニアに住んでいる友人を訪ねたときでした。

そのとき、雄大なキリマンジャロ山を見て、(登りたい!)と思ったんですが、「最低でも4泊5日の日程が必要」ということを聞いてスケジュールが合わずに断念。サファリを楽しんだり、ザンジバル島で過ごしたりしていました。

世界一周旅行、アフリカ大陸の目的のひとつは、「キリマンジャロ山に登ること」。ここまで来れてわくわくしています!

キリマンジャロという山、素人でも比較的簡単に登れるらしんです。でも、一番高いウフルピークの標高は、5895メートル!! 富士山が、3,776メートルだから、かなり高いですよね!

このキリマンジャロ山の雄大な姿を見ている、ほんと惚れ惚れしちゃいます。頂上は、平らなので、南アフリカのテーブルマウンテンにも少し似ています。山頂には、いつも雪が残っていて、白く輝いています。今は、雨季に入る前だからか、曇が多く、一日中雄大な姿は見れません。登山中は、少しでも長い時間、晴れ間が広がることを願っています。

注意したいのが高山病。山頂到達率を上げるために、5泊の行程にしました。

山登りは、きょうさんの影響ではじめたんですが、なかなか気持ちがいいものですね!道中は、とってもしんどい、、、 次の日は、必ず筋肉痛になって、カラダが動きません、、、 でも頂上に到達したときの感動は、うれしいんです。(高いところにやってきた!)という気持ちがすがすがしいです!

よく、「山登りは人生に似ている」と聞きます。その通りですね。苦しいことを乗り越えて到達していく、ゴールがあるから進んで行ける。そんな風に思います。

私は、大きいものを見ることが好きです。
自分が小さいからかもしれないけど、大きいものをみると安心します。悩みごとも小さく思えて、(まだまだ器が小さいなぁ・・・)と感じます。そして(あの山のように大きな大きな自分になりたい!)って思うんですね。

だから私は、キリマンジャロ山に頂点に立って、小さな自分を少しでも大きくしたいと思っています。

たかさん♀


【きょうさん編】

「キリマンジャロ登山には莫大なお金がかかる」

この情報を得たのはつい先日、シンガポール空港で飛行機を待っているときでした。インターネットで調べていると、「2006年から入園料が倍になり高くなっている」ことを知ったのです。

南アフリカで出会った旅人からは「ひとり800ドル」、ザンビアで出会ったカナダ人からは「ひとり1,000ドル」と聞き、4〜50,000円位だろうと思っていたボクの想像をはるかに超えていました。登山日数が長くなるとさらに増える費用。(そこまでお金を払って登りたいんだろうか?)と諦めることも考えました。

でも、(登ってみたい、登りたい!) そう思いました。

5,895メートルという高い山。当然、高山病の心配があります。ボクはペルーのクスコで高山病になったことがあります(たかさんは大丈夫でした)。だから高山病というキーワードには敏感です。登りはじめたからと言って、到達できる保証はもちろんありません。判断を誤ると、死に至る可能性もあるとも聞きました。

それでも、(登ってみたい!) と思いました。

なんでですかね?

自問してみても、正直、パッと答えが出てきません、、、

「しんどい目して、よく登りますね」。山登りをしない人からそう言われたことも多々あります。確かにしんどいですよね、、、ネパールの山へ4日のトレッキングに連れて行ってもらったとき、2日目は地獄の山歩きでした。脚が上がらず、荷物は重く感じ、腹は減り、日は暮れ、寒く、、、 辛かった、、、 しかし3日目の山々を見たとき、(ここまで来てよかった!)と胸を熱くしました。

先が見えないことは、不安です。

でも、その先にあるものを信じることができれば、今を一生懸命にがんばることができる気がします。そして(登ってよかった)と感じてみたい。そんな成功体験の繰り返しを人生でしていきたいんですね。

キリマンジャロの山頂に立つことができれば、ひとつの自信が得られます。「自分へのひとつの挑戦だ!」 そう自答し、窓から見える山を眺めながら準備をしています。

きょうさん♂


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2006年02月05日
●幼少時代を思い出すモノ

イベントがあれば集まるうちの家族。

今日はかわいい姪っ子の誕生日会をかねて、ボクらの壮行会もしてもらいました。

恥ずかしながらも、2回目の壮行会。2005年5月の初出発のときは、「次に会えるのは、いったいいつなのか?」ってな雰囲気で見送ってもらってたんですよね。それが盗難被害で一時帰国。ほんの半年で再会しちゃいましたからね。「合わす顔がない、、、」ってこんなことを言うんだと思います。

「そこまで被害に遭いながら、また行くつもり?」

もう呆れかえっている家族ですが、帰国後実家に滞在したり、クリスマスに会ったり、正月を迎えたり。共に過ごし、話す機会が増えたのは、とても良かったことでした。

日本に帰った直後、両親からは「(盗難に遭うとは)何してんねん!」とケチョンケチョン、、、 それでも、シティバンクのカードローン被害など、一緒になって怒り狂ってくれました(意外にも、ボク以上の怒り?)。一時帰国中の仮住まいの段取りや生活必要品の準備や運搬手伝いをしてくれたり、資金稼ぎ中の仕事に励んでいたときは、たくさんの美味い食糧を届けてくれたりしました。

(なんやかんや言いながらも、応援してくれてるなぁ・・・)

言葉よりも、行動からそんなメッセージを両親から感じました。


「あなたたちに渡したいものがある」

ボクとふたりの姉を前に、言葉を発した母。3人の子どもへ渡したかったもの、それは「小さい頃にボクらがもらってきたお年玉」でした。

幼少のころって、いろんな人に会ってお年玉をもらっても、お金の遣い方を知らないし、どうしていいのか分からないので、すぐに親に渡していたんですね。ひとり25万円。何年分のお年玉やろ? それを母は、ずっと預かっていてくれたんです。

(そんなことあったっけ?)

まったく記憶になかったボクは、呆気に取られました・・・。25万円は結構な額だけど、考えてなかったお金だし、両親に遣ってもらったらいい。そう伝えましたが、「必要ない」と受け取らない両親。

「あなたたちのお金だから、あなたたちの好きなように遣いなさい」

ボクは思いました。現金で受け取ってもらえないなら、航空券で受け取ってもらおう。いつの日か、海外へ遊びに来てもらえるように、ボクらが気に入った国を見てもらえるときのために、このお金で航空券を用意しようと思います。

うちの母、まだまだいろんなモノを持ってるんです!

ボクら姉弟が両親に贈って来た母の日の手紙や、旅先からの手紙。両手に抱えきれないほどありました。中には、ボクがプロゴルファーを目指していたときにオーストラリアから送っていた手紙もありました。

「ええこと、書いてるやろぉ」と、母。

その時々に考えて書いた両親へのメッセージ、それぞれのカードや手紙に綴られていました。読み入るボクや、姉たち。

さらに驚いたのは、ボクが小学2年生とのときに金賞を獲った硬筆の書き初め。なかなかきれいやん!?

ボクにとっては、それほど思い入れもありませんでしたが、こうして20年以上も経って見ると、両親の喜びが肌で感じてきます。ボクは子どもを持っていないので、親の立場にはなれませんが、親の気持ちを察すると、たくさんの愛情を注いで育ててくれたことが解かります。

(こんな素晴らしい親を置いて、世界へ行くのか?)

もうひとりのボクがそう問いかけます。

「それでも行きたい。こんな両親に育ててもらった自分だからこそ、新しい世界を拓く可能性がある」。そう自分を信じています。

あたらしい年の
あさをむかえました。
お日さまが明るく
見えます。
うみがきらきら
光っています。
ことしもみんなと
手をつなぎ、
元気で
がんばっていこうと
おもいます。


小学2年生の自分が書いた書き初めのメッセージを胸に感じ、元気で頑張っていこうと思います。

お父さん、お母さん、ありがとう!

息子♂より

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2006年02月02日
●24歳の起業家精神に学ぶ

「せかたび」でもリンクさせてもらっている『職人.com』。

帽子屋さんと一緒に店主の櫻井さんに会ってきました。24歳の彼、日本と世界の相互理解を目指すことをコンセプトにしているんですね。「和」をテーマにしたサイト『職人.com』、そして次のサイト、また新しいビジネス構想もあるんですって!次々と湧き出てくるアイデアを聞いていると、鳥肌が立っちゃいました。

櫻井さんと一緒にがんばっている学生さんも、近い将来新しいビジネスを立ち上げる予定だそうで、発想力にあふれる若いチカラを存分に感じる時間でした。

「ボクらも10年早かったらなぁ〜」

「まだまだ若いじゃないですか!それに50、60歳になったときに、何をしているかが大切だと思うんです!」

そうボクらの世界一周旅行を励ましてくれる彼ら。キラキラと瞳を輝かす彼らのような世代に励ましてもらえることもうれしいですね!

がんばる人に刺激を受けながら、ボクらもボクらの夢を追いかけていきます!貴重な時間をありがとうございます〜

きょうさん♂

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2006年01月30日
●カードローンが戻るまで

盗難直後の2005年11月7日。フランスから日本のシティバンクに「口座クローズの連絡」をしたときは、「預金口座の引き出しはない」という回答だったので、安心していたんです。

11月21日。一時帰国したあと三宮支店へ「口座復帰」のために赴くと、「預金口座は動いていないが、カードローンで49万の引き出しがされている」と驚きの事実を聞きました。

(なんで暗証番号も分からないのに引き出されるの?)

それが第一印象でした。

「詳しい調査の上、専門部署からご連絡します」と窓口で言われ、その日は帰路についたんです。

(おかしいなぁ・・・ なんでや? フランスから電話したときは無傷だったはず、、、銀行側の手違いなのか?)頭の中を疑問符が飛び交っています。

翌日、東京のシティバンク専門部署から連絡があり、いろいろ質問を受けるんです。大きなお金が動くだけに慎重ですよね、お互いに。その電話だけでは解決できず、何度も調査が繰り返えされた挙句・・・

12月6日。シティバンクからの回答は「暗証番号の一致による引き出しのため、あなたが引き出されたものとみなされます」。返金されないと、毎月4万円の返済が請求される・・・と淡々とした口調で言うんです。

(おいおい、ちょっと待ってくださいよっ!)普段は穏やかな性格のボクなんですが、せまい部屋に響き渡るくらいの大声で電話口に向かって叫んだんです。

そりゃ、盗まれたボクが悪いのは事実。でも、暗証番号をそばに置いてもいないし、勝手に引き出された立場としてあまりにも腑に落ちない回答。ボクは怒り狂ったように抗議しました。

しかし、担当者の回答は覆らない。人間性を感じない機械的・事務的な担当者の口調に、ボクは(この人とは話にならない)と判断し、別の担当者から連絡をもらえるよう依頼したんです。だってかみ合わない人と話を続けていてもお互い疲れるだけですもん。

平行して、インターネットでカードのスキミング被害を調べます。クレジットカード、キャッシュカード、ローンカード、カードにもいろんな種類があるんですね。クレジットカードの場合、クレジットカード会社が補償してくれる場合が多いようですが、キャッシュカードやローンカードの場合、銀行が補償する例が見当たらないんです、、、(ヤバイ)

UFJ銀行に勤める知人に相談。2006年2月から預金者保護法が施行されるとはいえ、2005年11月の被害が対象になるかどうか不明、現状では極めて厳しい状況であることを聞いたんです。

「泣きっ面に蜂」ってこのことか!


人間って、不思議なもので、言われたままのことを受け止めようとする気質があると思いませんか? これ、ボクの実体験。というのも、

「暗証番号を書いた紙をそばに置いていませんでしたか?(まるで見ていたかのような言い方をするんですよっ)」

(そう言われると、置いていたような気もするかなぁ?)って思っちゃうんです。刑事ドラマの取調室で、「お前が殺ったんだろう!」と言われ、濡れ衣を着せられる人みたい。

でも冷静に考えると、暗証番号を書いた紙を持たないし、盗難前夜にポーチの整理をしていたから中身はちゃんと覚えていたんですよね。(暗証番号のメモなどない!)そう自分を信じていました。

暮れが押しせまるクリスマス前。シティバンクから書類が送られてきました。

それは盗難状況証明書や、盗難ポリスレポートなどの提出を求めるものでした。

!!!

(おや?なんだか状況が変わってきてるぞ!)

ボクは、こんな書類があるんやったら最初から出してくれたらいいのに・・・と思いながら、バッチリ記入していきます。さらに自分の考えを明記した「意見書」を4枚も添付して送付しました。(とことん闘ってやる!)そんな気持ちの表れだったんです。

そして、年が明けた1月23日。

シティバンク担当者から連絡がありました。

回答は、「全額補償」。

喜ぶことではなく、やっと元通りです。それでも、一時は不安を抱き、49万円の被害を考えた身としてはうれしい想いです。よかったです。

この件から学ぶこと。それは「銀行の言いなりになってはいけません!自分の思うことを信じて、ちゃんと伝えることです」。そうすれば道は開ける!そんな気がしています。

時間と神経をすり減らし、、、もうカードは盗まれないようにしないといけませんね。皆さまもご注意を!

きょうさん


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カテゴリ: 人間の魅力 | コメント (1)


2006年01月15日
●ロンドンを思い出す再会

2005年の8月上旬と9月下旬。ロンドン滞在時にお世話になった友だちが、神戸まで遊びにきてくれたんです。

久しぶりの再会、ほんとうれしかったぁ〜

彼女に会うと、ロンドンでの生活がよみがえってきます。何だか、ウキウキするんですよね。

フィンランドで「写真を撮りましょうか?」という一瞬の出会いだったんですが、その後も、今も、これからも・・・、一生のお付き合いになるんだと思っています。

「一期一会」。

私の大好きな言葉です。

まだ半年間の世界一周旅行ですが、たくさんの人との出会いがありました。

出会った人全員とずっと付き合っていくことは、不可能かもしれないけど、できるだけ多く人と出会い、一生の出会いとなるようにしていきたいです。やっぱり、私は欲張りなのかもしれません。

ひとつひとつの出会いや出来事を大切にしていきたいと思います。

たかさん♀

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2006年01月01日
●自我を確立していく旅人

待ち合わせの時間まで、立ち読みしようと本屋さんに寄ったら、噂のベストセラー本を見つけました。



ブログ「がんばれ、生協の白石さん」で話題になって書籍化されたそうなんですが、読んでいて引き込まれそうになりました。学生さんの質問にユーモアを交えながら答える白石さんの文章、ほんのり温かさを感じるんですよね。

例えば、「自我の捨て方」。なんてオシャレな回答なんでしょう!

他人様からすれば、興味のうすい自我かもしれませんが、いつまでも自分らしさを持った人でありたいですね。


さて待ち合わせのお相手は、「世界の途上から」でおなじみのけちゃさんと奥さんのみーさん。せかたびと入れ違いに世界一周旅行から帰国されたご夫婦なんです。

「よかったら年末年始にお茶でもいかが?」

そんなうれしいお誘いをうけていて、新年を前日に控えた大晦日、神戸三宮でお会いしてきたんです。

訪問国でパソコン環境についてなど、メールでは何度もやりとりをしてもらっていたんで、親しみはあったんですが、こうしていざお会いすることになると、まるで古くからの友人との再会のようで、とってもうれしかったです。

世界一周旅行の先輩だけあって、各国の耳寄り情報、警戒情報をはじめ、ボクらの再出発のためになる情報をたっぷりと聴かせてもらいました。ありがとうございます!

いろんな旅人さんがいますが、けちゃさんもこだわりを感じる方でした。旅の決断から計画についてなど、話し方や考え方は、近い歳ながら、学ばせていただきました。


せかたびの再出発が控えていますが、旅人として自我を持ち、いつの日か、生協の白石さんのような‘ほんのり回答’ができるような旅人でありたいです。

きょうさん♂

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2005年12月29日
●自分へ届くメッセージ 

毎朝9時30分。

携帯メールが届きます。

差出人は、自分。

「せかたび」、2006年の目標が書かれてあるんです。


先日、本屋さんで立ち読みをしていたんですね。自己啓発関係の本だったんですが、自分が立てている夢や目標があれば、それを毎日イメージすることが大切だって。

アファーメイションとか言うらしい。。。

以前にも聞いたことはあったんですが、メモに書いて、ノートを持っていても、なかなかしょっちゅうは見ないんですよね。

・・・で、その本に紹介してあったのが、自分の携帯メールに届く自分宛のメッセージ。

毎朝、それを見ては、自分の目標を確認できるんですよ!忘れがちな自分への金言になります。


アファーメーションメール

きょうさん♂

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2005年12月20日
●ヒデよく頑張った!感涙っ

唯一と言っていいほど観ている番組、『あいのり』。

今日のスペシャルでは、ついにヒデのあいのりが終わりました。恋する日本代表の結末は、、、アンハッピーエンド。もう観ていて、涙、涙でした。。。


思えば、ボクらの世界一周旅行の出発前、心残りのひとつは、『あいのり』が観られなくなることでした。ヒデの恋を見続けることができないのは、なんとも歯がゆい想いだったんですね。。。 

日本に一時帰国して『あいのり』を観たら、ヒデがラブワゴンに乗っているではありませんか!(まだいたんだぁ〜)とビックリ! 聞くところ、ダブル告白をされたこともあったようで・・・。このあいのり期間中、いろんな経験を重ねていたんだと思います。19歳から21歳までなんですから、長いですよね。

ヒデが最初に登場したとき、鮮烈でしたね! サッカーの中田英寿に似ているのに、特技はバスケットだって。オモロイやっちゃなぁ〜 って印象でした。なかなかスパッと言わないから、イライラしてしまうところもあったけど、仲間を大事にするところが男らしかった。あのヒデポエムは最高でしたね。想いを伝えられるチカラがある男だと、感じたものです。

‘かよ’が帰国するとき、ヒデには告白してほしかった。

ボクの好みのタイプが、‘かよ’だったからかもしれないけど、ヒデファンとしては、絶対に告白してほしかった。(ヒデ、行けっ!行けっ〜!)ってテレビの前で願っていました。でも行けなかった・・・。(なんで行かへんねんっ)って、すんごいショックだったけど、もし自分が20歳前後だったとしたら、勇気を持てなくて行けなかったかもしれませね〜。

その後、ヒデがどんな恋をしていくのか・・・。『あいのり』の楽しみはもっぱらそれでした。世界一周旅行中は観られなかったけど、帰国して観たら、ヒデがずいぶんとたくましくなっています。(ヒデ、成長したなぁ〜)と思ったものです。

「大好きな人に‘自分’を薦めることができた・・・」と、告白後のヒデの言葉。

自分のことが大嫌いだったのに、『あいのり』での経験を重ねて、そう感じられるようになったヒデ、本当にかっこいいです!

「一番励まされなアカン人が、みんなを励まして・・・頑張ったなヒデ おつかれ」 梅ちゃんが、別れ際、そう言いました。見ている人は、ちゃんと見ているんですよね。もう観ていて涙が止まりませんでした。ヒデの成長は素晴らしかったです。

ボクも、数年経って、もっと自分の成長を感じられる人間でありたいです。

そんなことを感じさせてくれたヒデ、ありがとう!本当にお疲れさまです!

ヒデからのメッセージはこちら (←嵐、アヤの次)

『あいのり』ホームページはこちら

きょうさん♂

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2005年12月04日
●自然体が一番強い理由 

テニスを観に行きました。

スポーツは、観るのも、するのも好きなんですが、前の会社で一緒だったお仲間がダブルスの試合に出るので応援に行ったんです。

彼女、とってもスポーツウーマン!サッカーは詳しいし、タイガース情報はじめ野球全般にも詳しい。。。相撲から陸上まで広範囲の情報があり、スポーツコメンテーナーになるべきっ!

旦那さんも前の会社で一緒だった(だから、たかさんとボクを含め4人は同じ会社だった)んだけど、彼も詳しいんですよ〜 ボクは、浅く広く知るタイプだから、彼らのウンチク情報は、とっても楽しくて、聴き応えがあるんです。

さぁテニス観戦。ボクらはコート脇から彼女たち(彼女と友だちのペア)の試合を見守ります。

いったい何組くらい参加してたんですかね? トーナメント制で7回くらい勝って優勝だから、100チームくらいいたんじゃないかな? 以前一緒にテニスしたことがあって、上手いことは知っていたんだけど、さすがですね。確実に勝ちを重ねていくんですよ。

でね、感じたことはギラギラしてないんですよね、彼女たち。

参加しているペアの中には、何がなんでも勝つぞ!優勝するぞ!って想いが表れてすぎていて、近寄りがたい雰囲気を感じたりするんですよね。そりゃ、目標は大事なんだけど、そんな決意を周りに感じさせないのに強いのはもっと魅力的!

そういう意味で、彼女たちの強さは際立っていました。コートを離れると、ひょうきん(←この表現ってアリ?)なふたり。でもコートに入ると、一球一球に集中し、ボールを追いかける彼女たち。すんばらしいっ!

「勝つ!」って想いが強すぎて、周りが見えなくなるようでは逆効果ですよね。自分の想いを基に、相手の動きやプレースタイルを判断。。。そんなトータルを考えながら戦うことができるから、勝てるんだと思います。いつもニュートラルポジションにいるような彼女たち。彼女たちの分析力は、コート外の振る舞いからは想像できないくらい鋭かったです。

大雨と雷に見舞われて、ベスト16で中止になっちゃいましたが、あのまま続けていたら、優勝です。間違いない!

強い彼女たちはとっても自然体。自分らしく闘う・・・そんなスタイルを真似たいです。

きょうさん♂

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2005年10月08日
●2,722g。健康男児が誕生

私事ですが、うれしいことがありました。その報告です〜

私の実姉に、待望の赤ちゃんが産まれたんです(パチパチパチ〜)。

姉は、今年35歳になるので、体力的にもしんどい年ごろ(人のこと言えないけど・・・)。

2,722グラムの男の子!きっとかわいいんだろうなぁ〜。残念ながら、彼に会えるのは、2歳になるころなんだけど、今よりもっとかわいくなっている時期だろうからうれしい。早く会いたいなぁ〜

私には、きょうさんの実姉の娘(姪っ子)がふたりがいるんです。

とぉ〜ってもかわいい!!ふたりとも大きなお目目で笑った顔は、最高です!

「たかこさん」って難しいことばを、舌を絡ませながら話してくるときは、たまりませんね!

子どもは本当にかわいいですね。

中国の赤ちゃんなんて、ズボンのお尻のところに穴を開けてるんですよ!(便がしやすいように) だから、オムツはしていないんです。北京や上海は、都会だから、今はそんな赤ちゃんを見かけないかもしれないけど、内陸部の方はまだまだいますね。だから、ちっちゃなお尻が丸見えで、ますますかわいんです。

ロシアの子どもたちは、基本的にロシア教なので頭巾を被っているんです。頭巾というより、スカーフを頭に巻いているんです。カラフルな色で青い目にはとっても似合っている!

その国ごとに、赤ちゃんも違うけど、やっぱり子どもの笑顔は最高にかわいい。

そんな、赤ちゃんが姉に産まれたことは、ほんとにうれしい!どうか元気で健やかに育ちますように・・・ そう願っています。

たかさん♀


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2005年09月23日
●キムタクで学ぶ人間の心

ドラマを観ないボクが『エンジン』にハマってしまった〜

(キムタクの演技ってどれも同じなの?)そんな疑問を抱きつつも観た第1話。

日本ではほとんどドラマを観ていなかったので、キムタクの演技がどうこうとか、ほかの役者さんだったらどうだったかとか、そんなことは分からないんです。

ただ、旅行を通じて人と接してきた身としては、感じたこと、思ったことをそのまま表現するキムタク演じる神崎次郎は、すっきり気持ちよかったです。

言いたいことをズバッと言える添乗員さんなんてなかなかいないですから。お客様を配慮しながら対応してきたように思います。まぁ根底には、自分が旅好きなのでお客様のことより「何が見られるか」、「何が食べられるか」のほうが大事だったりするんですが・・・。

言葉遣いには気を配るとしても、感じたことを表現できる人間でありたいです。

そして、神崎次郎と園長先生(育ての父)の会話にも惹かれました。ボクは、自分の父さんと剣幕になるくらい本気で語ったことがありません。小さいころはよく殴られ、いつ鉄拳が飛んできるか分からなかったので、父さんの前では頭が上がりません。だからこそ、ドラマを観ていて、うらやましかった〜

第9話か第10話あたりで、監督が言っていました。「レーサーはレース中は孤独。だからこそ、心に誰かを乗せて走ることが大切なんだ」みたいなことを。

ボクらの世界一周旅行は、夫婦で旅をしているんですが、世界の旅先で出会った人や、日本で見守ってくれている人たちがいるわけです。それは鉄拳を飛ばしてでも育ててくれた父さんであったり、うまいコロッケを作ってくれた母さんだったり、口ケンカした姉さんたちだったりします。そして忙しい中、うれしいメールを送ってくれる人だったりします。

そんな人たちの顔を思い浮かべながら、うるうるきちゃいました・・・。(涙もろくなったなぁ〜)

多くの人たちに支えられていることを再認識し、世界でのチャンスを見つけていきます。まだまだ第2ステージ。ボクらのレースをつづけていきます。

きょうさん♂


2005年07月24日
●見えない未来を進む勇気

インフォメーションセンターの人が言っていたとおり、週末もあって続々と人が集まってきた。

「フィヨルドを歩いて感じる」ために、前夜、ソグネフィヨルドプレーケストンの駐車場に入った。朝を迎えたときは広いスペースにポツンとさびしく一台きりだった。それが9時を過ぎたあたりから、1分ごとに車が入ってきて駐車場はすぐにいっぱいになった。

辺りは霧一面に覆われている。ボクらは晴れるのを待っていた。ところが、到着した人たちは、そんなそぶりも見せず、支度をして早々と登り始めていく。

「なんで、この霧の中、行けるの?」

不思議で仕方がなかった。だって、駐車場から空を見上げても何も見えないし、青空の気配もないからだ。この状態で登っても、眼下に広がるフィヨルドは見えないじゃないか。それだったら、もう一日待ったほうがいい。そう思っていた。

コーンフレークの朝食を摂っていたときに、隣にオランダ人夫婦のキャンピングカーが到着した。彼らも早々と準備を済ます。「君たちはまだ行かないのか?」「空が変わるのを、もう少し待っているんだ」そんな会話をして見送った。5時間ほど経ち、サンドイッチを食べていると、彼らは戻ってきた。汗をかき、ハァハァ言いながらも、満足気な表情だった。

「景色はどうだった?」「ビューティフル!海面は見えなかったけど太陽の日差しが素晴らしかった!」

この駐車場では太陽の雰囲気も感じない霧の世界なのに、頂上は違う世界なのだろうか?また不思議に思った。日本の百名山をいくつか登ったことがあるが、どの機会も、晴れで出発すれば晴れが続いたし、霧で出発すれば霧のままだった。「山の天気は変わりやすい」という言葉も、天候が荒れるというイメージの方が強く、天候がよくなるという気はあまりしない。

午前中に出発した人が徐々に戻ってくるようになって、ボクらの考えも変わってきた。まずは行ってみることにしよう。明日雨になるかもしれないし、それだったらフィヨルドの海面が見られなくても、頂上で太陽を浴びれたほうがいいだろう。今日が霧で何も見られなくて、明日晴れだったらもう一度登ればいい。ぜひとも、じっくりとフィヨルドを感じたいボクらはそんな想いで出発を決めた。

それでも、道中は霧だった。

ずっともやがかかっている状態だった。日も暮れてきたようだし、もしかすると太陽の日差しすら浴びれないかもしれない。そんな不安を抱いていた。明日、晴れることを期待して、もう一日登る心構えをしておこう。そこまで思っていた。

ところが、頂上まであと300メートルというところになって、霧が動き出した。眼下をのぞくと、淡いブルーの海面がちらりと見えている。
おぉ!

足早にプレーケストンにたどり着いたときには霧がすっかり晴れて、目の前にフィヨルドが広がった。

まるでボクらの到着を待っていたかのように、霧が左から右へ、すぅ〜と動いていく。「さぁ、じっくりとご覧なさい」とでも言っているかのようだった。これまで登ってきた道の方を振り返ると、やはり霧に覆われている。このプレーケストンの頂上だけが晴れている不思議な状態だった。

見たい光景が見られて、撮りたい写真が撮られて、大満喫で帰る途中に思った。

「先が見えないからといって、動かないことはやめよう」、と。

ボクらは霧で先が見えない中、動かなかった。多くの人が動いていく中、見送るだけだった。しかし見えない先には、動いた人だけが知ることができる世界がある。それは動かない人には決して見られない世界だ。出発地では想像もできないような世界なのだ。

未来が分かっていれば、悩みはないかもしれない。不安もないかもしれない。でも見えない未来だからこそ、自分の経験を振り返り、人に感謝し、対策を用意し、自分の力を試すことができる。実におもしろいことだ。

思えば、この世界一周旅行も未来を考えると何も見えていない。まったく霧の中だ。それでも、きっとこの先には何かが待っていると思う。そう信じたい。そう信じて、勇気を出して、動いていきたい。ボクはそんな生き方をしていきたい。

きょうさん♂


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