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2005年06月27日
●ロシアの総まとめを公開

11日間のロシア滞在での総合計支出額は、116,633円。シベリア鉄道を含むと16万円ほどになります。

確かに高い!ロシアは物価が高かった。そして、ビザの問題など、まだまだ社会主義のシステムがあることで、旅が制限されることも多く、ホテルも限られてしまう。旅行者には、旅がしにくい国かもしれない。

入場料もクレムリンなんてひとり1,300円以上。武器庫やほかの建物に入るには、さらに1,300円ほどかかる。手荷物料金やカメラの持ち込み料、また列車のシーツ代など、細々としたものにもお金が必要だった。決してぜいたくはしていないんだけど・・・ まぁ予算よりややオーバーくらいかな!

ロシアはこれからの国だと言われている。ソビエト連邦が崩壊し、徐々に資本主義になりつつある。今では先進国のような豊かな暮らしのように感じる。

地下鉄では早歩きで仕事に向かう人々。おしゃれでマニュキュアもきれいつけている若い女性たち。犬を連れて散歩している熟年夫婦。もちろん、マクドナルドもある。

マクドナルドで若い日本人男性二人に出会いました。ロシア語を学びに来ていた。「なんで、ロシア語なの?」っと聞くと、「これからロシア語の需要は大きくなる。石油もたくさんあるこの国は、これからの国だ。」っと言っていました。
なるほど・・・確かに私も聞いた事がある。これからは、中国、インド、ロシア、ブラジルだと(BRICs)。

私のロシアの印象として、ロシア人とは、あまりコミュニケーションがとれなかったこともあり、人間関係は大変だった。でも建物は素晴らしかった。社会主義時代の贅沢な建物は、他の国とはケタ違い!すべての建物が博物館のようだった。地下鉄の駅もシャンデリアが輝いていたりする。こんな国ははじめてだ。さすがは、ロシア大国。うなずける大国だ。

また数年後のロシアを見てみたい気がする。

たかさん(♀)


2005年06月17日
●モンゴルの滞在費を公開

当初の予定では1週間〜10日間の滞在予定だったモンゴルが、ロシアビザの取得に時間がかかり、結局17日間も滞在することになった。あー、また予算オーバーだぁ。。。

しかし!モンゴルは物価が安かった。宿も1泊4ドル(=約440円)という安さ。そして、JICAの知り合いから知り合いとたくさんの人との出会いでご馳走になったり、家に泊めてもらったりさせていただき、モンゴル経費の総合計は、91,880円となりました。

その内、ロシアビザとロシア2泊分などロシアでの出費が前払いが、41,040円。実質モンゴルにかかった費用は、17日間で2人で50,000円ほどでした(パチパチパチー)

モンゴルではほんとに、たくさんの方にお世話になり、感謝感謝です!

モンゴルでは正直そんなに観光をしていないんです。ゲルステイに2回合計6泊したくらい。あとは首都のウランバートルにいました。
何をしていたかというと、モンゴルにおられる1人の方から枝分かれをしていくように、たくさんの人と出会い、話をしたり、食事をしたりしていました。また、起業をされた方のお店に訪れたりと、毎日新しい人に出会い、楽しい日々を過ごしていました。

よく聞くけど、「食事は何を食べるかよりも、誰と食べるかで、おいしさは変わってくる」と。

世界を周る国で、どんなに素晴らしい国に行ったとしても、そこでトラブルなどの嫌な思いが強いとその国のイメージが悪くなってしまう。もう二度と行きたくない!って思うかもしれない・・・

モンゴル自体は確かにあまり見所がないかもしれないけど、私たち夫婦にとっては、とても思い出の残る出会いが数多くあった。どの国を行くよりも、誰と出会ったかという国の方が印象深い思い出になる。

そして、その人脈は思い出だけではなく、一生の人脈になるかもしれない・・・

モンゴルよ、いい出会いをありがとう!!

お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。

たかさん(♀)
6.17 ●人を紹介していくチカラ モンゴルでは大勢の日本の方にお世話になった。出発時は、モンゴル訪問を不安に感じていたが、おかげさまですっかり安心して暮らすことができた。

人が人を紹介してくれ、またその人が人を紹介してくれる。見ず知らずのボクらを快く迎えてくれた皆さんに感謝している。世界で活躍されている皆さんは、世界に関する情報もたくさんお持ちで、世界一周旅行するボクらにいろんな情報を教えてくれた。

この世界一周旅行のモンゴル訪問は、壁だった。なぜなら、ボクらのまわりにモンゴル訪問経験者がいなかったからだ。だからモンゴルは、アフリカや中米と共に「情報が少ない国」のひとつであった。

そんなモンゴルに17日間滞在したが、それまでの不安が信じられないくらいに安心して過ごすことができた。それは数多くの日本の方のおかげである。

そして、そのきっかけを作ってくれたのは、日本での知人ishiさんが、モンゴル在住の日本人を紹介してくれたからだ。モンゴル滞在中、この方のおかげで、実に多くの方との出会いにつながり、いろいろな経験、また世界の情報を得ることができた。人のつながりの大切さを感じる体験であった。

「あら!モンゴル行くの?だったら、ボクの先輩がいるから連絡してあげるよ」

出発前の日本。異業種交流会で知り合って2年になるishiさんがそう言ってくれた2日後、モンゴル在住のナオキさんからメールが届いた。簡単な訪問日程の連絡を伝えると、モンゴルでの宿の予約までしてくれた。またウランバートル到着時には、駅まで迎えに来てくれた。初対面だったが、「地球の歩き方」を掲げてくれていたおかげですぐに対面することができた。そしてウランバートルの街を車で走りながら、モンゴルの概略を短時間で教えてくれたのである。

夜、ブータンに滞在経験がある方を紹介してくださった。また翌日には、地元モンゴルで活動されている青年海外協力隊との懇親会をセッティングしてくれる。

そこで知り合った方には、地元旅行会社の方を紹介していただき、ゲル体験ツアーの第1弾が経験できた。また、そこで知り合っていた別の方が、モンゴルで会社を経営されているコウさんに声をかけてくださっており、そのコウ社長から後日連絡をもらい、会える。

ナオキさんは、アフリカのガーナに滞在経験がある方も紹介してください、アフリカの情報はさらに倍増。

一方、コウ社長は、モンゴルでカフェを経営している社長や、カレー屋さんを経営している社長さんも紹介してくださり、モンゴルのいろいろな情報が伝わってきます。おまけに、お家にまで泊めていただき、感謝の気持ちいっぱい。

遊牧民のゲルに泊めてもらったときに、モンゴル人から聞いた言葉が印象に残っている。「ゲルでの生活は助け合いだ。初めて会う人でも泊めたり、食事も振る舞ったりする。それじゃないと生きていけない」と。今回、人のつながりに本当に感謝した。モンゴル人の言葉は、モンゴル人だけではなく、自分ができることを他人にしてあげる人間としての大切な考え方のような気がした。

ボクらは、世界の感動を伝えていくことで、誰かのために役立てる存在になりたい。

モンゴルの日本人の皆さん、本当にありがとうございました。 6.16 ●モノづくりの国、ニッポン 昔から、モノをつくるのが好きだった。小学生のころ、プラモデルづくりからはじまり(タミヤの兵隊シリーズの塗装に熱中していた)、ドラえもんの6つの表情を描いたサイコロをよく作った。中学時代はマブチモーターを使ったスロットマシンを作った。電気に詳しい父の影響で、電気回路を屈指した電光数字板など、中学生のわりに凝ったものを作っていた。秋の学芸会ではバルサ板で阪神タイガースの選手の名前を作るのが好きだった。また角材でゴルフのパターを作って遊んでいたこともある。社会人になってゴルフメーカーに就職しては、自分でパーシモンのヘッドを削ってみたり、ヘッドやシャフトを組み立てるのは手馴れたもんだった。

「世の中にあるモノはすべて人間が作っている。時間はかかるが、自分で出来ないことはない。不可能ってないんだ」。そう父が言っていたことを思い出す。さすがに今では、時間をお金で買う価値も感じているので、すべて自分でやることもないが、基本的に何でも自分でやりたがるところがある気がする。細かい作業も苦にならないので、つい熱中してしまうのだ。

モンゴルでのゲル体験では、ゲルの父に牛の骨を使った民芸品づくりを教わった。久しぶりにモノを作ったような気がする。

ブルーカラー、ホワイトカラーなんて言葉が流行ったが、ホワイトカラーに憧れているところもあるように思う。「3K」と呼ばれる「きつい・汚い・危険」ということよりも、物事を大局的に見ることが好きだからだ。「どうしたらモノは売れるのか」、「どうしたらもっと良くなるのか」、コンサルタントのように考えアドバイスができる能力が欲しいと思ったこともある。

それでも、やはりモノをつくったりする現場の気持ちは持っておきたい。

モノづくりの原点はやはり現場にあると思うからだ。旅をしていて日本の製品をよく見かける。世界で日本製のモノがこんなに進出しているも、日本が経済大国と呼ばれたりするのも、諸先輩方のおかげだと思う。

モノをゼロからつくるのは、エネルギーがいる。前例がないことをつくりあげるには、どれほどの資源が必要なのかだろうか。まさに産みの苦しみだ。それでもモノづくりニッポンの魂として、自分も「創る」人間でありたい。


2005年06月16日
●モノづくりの国、ニッポン

昔から、モノをつくるのが好きだった。小学生のころ、プラモデルづくりからはじまり(タミヤの兵隊シリーズの塗装に熱中していた)、ドラえもんの6つの表情を描いたサイコロをよく作った。中学時代はマブチモーターを使ったスロットマシンを作った。電気に詳しい父の影響で、電気回路を屈指した電光数字板など、中学生のわりに凝ったものを作っていた。秋の学芸会ではバルサ板で阪神タイガースの選手の名前を作るのが好きだった。また角材でゴルフのパターを作って遊んでいたこともある。社会人になってゴルフメーカーに就職しては、自分でパーシモンのヘッドを削ってみたり、ヘッドやシャフトを組み立てるのは手馴れたもんだった。

「世の中にあるモノはすべて人間が作っている。時間はかかるが、自分で出来ないことはない。不可能ってないんだ」。そう父が言っていたことを思い出す。さすがに今では、時間をお金で買う価値も感じているので、すべて自分でやることもないが、基本的に何でも自分でやりたがるところがある気がする。細かい作業も苦にならないので、つい熱中してしまうのだ。

モンゴルでのゲル体験では、ゲルの父に牛の骨を使った民芸品づくりを教わった。久しぶりにモノを作ったような気がする。

ブルーカラー、ホワイトカラーなんて言葉が流行ったが、ホワイトカラーに憧れているところもあるように思う。「3K」と呼ばれる「きつい・汚い・危険」ということよりも、物事を大局的に見ることが好きだからだ。「どうしたらモノは売れるのか」、「どうしたらもっと良くなるのか」、コンサルタントのように考えアドバイスができる能力が欲しいと思ったこともある。

それでも、やはりモノをつくったりする現場の気持ちは持っておきたい。

モノづくりの原点はやはり現場にあると思うからだ。旅をしていて日本の製品をよく見かける。世界で日本製のモノがこんなに進出しているも、日本が経済大国と呼ばれたりするのも、諸先輩方のおかげだと思う。

モノをゼロからつくるのは、エネルギーがいる。前例がないことをつくりあげるには、どれほどの資源が必要なのかだろうか。まさに産みの苦しみだ。それでもモノづくりニッポンの魂として、自分も「創る」人間でありたい。


2005年06月15日
●JICAって何だろう?

実は、よく知らない・・・。

私は、過去にインドのマザーテレサのボランティア活動に興味をもち、カルカッタに行ったことがある。しかし、あまりにも神聖な場所でボランティアをせずに帰国したのだ。また、オーストラリアのパースで、森林の移植したこともある。ボランティア活動にはとても興味を持っていた。

今回、JICA(ジャイカ)の方とご縁があり、知り合うことができた。どんどん、JICAに興味を持っていく自分がいた。青年海外協力隊のことだ。現在モンゴルで活動されている、JICA方たちと食事をする機会があったので、ここぞとばかりに聞いてみた。

(ん〜 大変なんだ!)。それが第一印象だった。それでも、やりがい持っている彼らの目が好きだった。ボランティア活動2年の滞在期間。事前に日本で3ヶ月の研修があるらしい。語学学習はもちろん、活動国によっては、いろいろなカリキュラムがあるらしい。自分の小さな力が、その国の発展のために、役立っているというやりがいは、旅では味わえない。

私は、仕事柄、旅をする人によく出会う。旅を続けている人の話は楽しい。旅は自分のためのものだし、これからの若い人たちに、もっともっと世界を知ってほしいと思う。日本人は、自由な時間があり、旅がしやすい国だ。世界には日本にはないものがたくさんある。学べたり、経験できたりする。旅というのは、素晴らしいと心から思う。しかし、発展途上国は日本とは違う。その事実も見てほしい。そして、今の日本人として、いやひとりの人間として何ができるのかということも考えてほしい。

このJICAでの活動は自由時間は限られている。しかし、成長してほしい国に、自分の小さな力が必要となり、大きく活躍できる場所を作ってくれる。きっと、外からは見えない大変さの方が多いと思うが、旅では味わえない大きな体験がある。その経験を私もしたいと強く思った。もしかしたら、2年半年後の帰国後、JICAに参加しているかもしれない。JICAはたくさんの職種(技術)のボランティア活動がある。観光という職種もあるらしい。夫婦では、まだ難しいようだが、今後のJICAもどんどん変わっていくらしい。期待したい。

詳しくJICAについて知りたい方は、こちらまでアクセスしてくださいね!

たかさん(♀)


2005年06月14日
●すてきな日本人おばさま

モンゴルのゲル滞在の最終日、私たちと入れ違いで、日本人のおばさまふたりがゲルにやってきた。

おばさま方から、「こんにちは!」という日本語が聞こえてきた。話を聞くと、モンゴルに知り合いがいるので遊びに来たようだ。年齢は70歳と50歳!!チョー元気なふたりのおばさま方は、年相応には見えないほど若い。ビックリ!!特に70歳のおばさまは、ピースボートで世界一周をしたり、インドやロシア、北欧などなども旅したことがあるらしい。年齢は私の親より少し上だけど、「若いときにしか出来ない世界一周旅行はとても素晴らしい!」と言ってくれた。そして、「今の日本の老人はもっと活動的でないとダメ!若者たちが『こんな老人になりたい!』って思わせなきゃ!」と言っていたのがとっても印象的だった。

確かに、50歳を過ぎると、「死に方」を考えると聞いたことがある。私たちは、「どんな死に方をしたいか!」という話をしたことがあるが、それは、その「死に方」をするまでに、いま何をするべきかということを考えたいからだ。日本の医療技術もあって、今後の長寿もどんどん長くなるだろう。ちなみに私たち夫婦は110歳まで生きて、子供や孫、ひ孫と仲良く暮らしたいと思っている(笑)。

70歳のおばさまから感じる、元気!元気!という活動的なパワーが素敵だ。「若い人たちと一緒にいるからパワーをもらえてる」っと言っていたが、いやいや、そんなおばさまから、私もパワーをもらえた。私もこんな70歳になりたい。

別れ際、おばさまが「いい出会いをありがとう〜」と言ってくれた。うれしい言葉だ。そんな言葉がとても似合うおばさまは、やはり素晴らしい人生をおくり、素敵な年の重ね方をしてきたのだろう。嫌味のないその言葉も、また印象的だった。

たかさん(♀)


2005年06月11日
●中国北京の滞在費を公開

5月27日に日本を出発して、中国北京では4日間滞在。使ったお金は、5,262元(=約68,411円)だった。

一番使ったのは、予想どおり移動費とビザ代金。世界一周旅行で一番かかる経費と分かっていながらも、やはり痛いなぁ〜。

国際列車で北京からモンゴルへ移動した。その時の費用が、1人11,000円(軟座を利用)くらいかかる。モンゴルビザ代金も1人7,800円(当日受取)。もっと節減は出来るのだが、早めに北欧やイギリスを目指したいため、時間をお金で買ったところもある。その分、余分な経費をかけてしまった。

世界は広い。いくら物価の安い国といえ、全てが安いわけではない。国によっては、外国人料金をとられたり、スリや盗難というトラブルのリスク代金もかかる。
ホテル宿泊料金は、1人30元(=約400円くらい)と食費よりも安かった。観光地の入場料は高かった。中国は世界遺産が多い国だ。故宮博物館でも1人60元(=約800円くらい)。中国はこれからも世界遺産の入場料金をあげていくようだ。なぜなら、安い金額だと中国人がたくさん入る。そうすると、マナーが悪いので、ゴミや衛生面、治安が悪くなる。中国としては、中国人を制限し、世界遺産を守っていく方向らしい。しかし、中国の遺産を中国人が見れなくなっていくというのは、少々問題があるような気もする。

中国の高度経済成長というのは、外国人の私たちにも影響は多々あるが、中国人にとっても影響がある。いい方向なのか、悪い方向なのか分からないけど、時代に乗り遅れる人がたくさんいて、これからも貧富の差はまだまだ縮まらないだろう。

結果からいうと、中国の経費として予算どおりにはなっている。しかし、モンゴルでは予算オーバーしている。それは、次回モンゴル編で公開する。


2005年06月10日
●喧嘩の種はおカネでした

旅に出て初めての口ゲンカ。何が原因って?お・か・ね。

日本でもよく聞くが、夫婦喧嘩の原因は、子供のことかお金のことが大半。私たち夫婦は、確かにお金が原因だった。

この世界一周旅行では役割がある。きょうさんはせかたびサイトの担当。私はお金担当、いわゆる大蔵省だ。それ以外は5分5分?いやいや、きょうさんの方が精神的な役割が多いと思う。

きょうさんと私とは、基本的に無駄遣いはしない。物欲がない。でも、食欲がある。今回の旅もホテル料金より、一日の飲食費の方が支出が高いくらい。しかし、食事というのは、エネルギーの資本であるので、仕方がないとも思っている。しかし!おやつが大好きなきょうさん。スーパーへ行っても、知らないうちに、買い物かごに「プリングス」が入っている。えっ!!日本でも値段の高い「プリングス」は、このモンゴルでもやっぱり高い。そして、クッキーやらコーラやら・・・。日本でもそうなんだけど、一緒にスーパーに行くとなぜか、余計なものと思うものをが加わる。「プリングス」を安いポテトチップスに変えて、質より量を重視する。

夕食時、きょうさんはディスコに行きたいという。数日前にモンゴルのディスコの話を聞いていたことを思い出したようだ。日本でもディスコに行ったことがないのに、何で行きたいの?大蔵省の私としては、現在モンゴルでもがビザや滞在費に予算以上に出費していたので、大反対!!理由を聞くと、モンゴル国の娯楽メインらしいディスコを見学したい、若者の様子を感じたい・・・など、理論っぽいことばかり!!

カッチーン(怒)!

確かに、モンゴルのディスコ入場料は安い。飲み物料金だけだったりするところもあるらしい。飲み物も、ビールで100円以下。それでも、私にとっては、無駄な出費になる。

ここぞとばかり、日ごろのお金の使い方を責めてしまった。きょうさんは、どうもモンゴルの国の物価で考えないで、日本の物価を物差しにして、安いや高いと考えていることが気になったからだ。運賃や食費も日本よりもちろん安い。でもモンゴルの物価で考えれば高いものもたくさんある。私たちの旅ははじまったばかりで、まだ資金はある。しかし、トラブルや事故でかかる費用は旅費に含めていない。だから、予算に組んでいるお金を少しでも余らせて、今後のトラブル対応費用にする必要がある。そんなこと、考えていると思ったのに、そうではなかったようだ。

夫婦のケンカは、話し合いが少ないからだ。分かっていると思って、言わないからだ。やってくれて当然だと思って、言わないからだ。「意思疎通」。それはとてもとても難しい。血がつながっている家族でもないのに、夫婦ではなおさら難しいのかもしれない。全てはコミュニケーション不足。

いつも穏やかなきょうさんも、今回は声が高くなり、モンゴルの安レストランで少し言い合いになった。数時間後、仲直りはしたが、まだまだお金の使い方はお互い今後も話し合う必要はある。でも、きょうさんも、コーラやお菓子がほしいという言葉は少なくなり、かなり意識してくれている様子。

きょうさんという人間は、話をして、理解ができれば、すぐ納得する。そしてすぐ行動する人だ。そんな所がきっと好きなんだろうなぁ〜。
私も、何度もお金の使い方について話をし、(分かってるだろうなぁ〜)という推測をやめようと思う。怒らないように、きょうさんを気分よく買い物をさせてあげて、上手に支出を減らすことが大切だと思った。

ちなみに、他の支出を抑えることができたので、ディスコに行くことにしました。
やっぱり弱い私。きょうさんのやったぁ!という笑顔を見たいから、いつも甘やかしてしまう・・・

大蔵省、これからも頑張ります!!

たかさん(♀)
カテゴリ: 夫婦のグチ | コメント (3)


2005年06月09日
●人を想う心がエネルギー

モンゴルでお世話になったゲストハウスで、「恋の話」に華が咲いた。

主人公は、21歳の日本人男性。北京で出会った中国人女性にひと目惚れしたらしい。もう一度北京へ戻って、告白するようだ。これに活気づいたのが、ボクを含めた男性陣。ガンバレ!一同、他人事を楽しむかのように応援隊が結成された。人生のセンパイ衆が、ああでもない、こうでもないとお互いの人生経験からそれぞれのメッセージを彼に伝えていった。彼は、北京へ向かう列車の中で、気持ちを確認し、彼なりのメッセージを伝えるだろう。

ボクらのように結婚をすると、恋をするという気持ちは忘れがち。でも、恋をするという想いはとても大切だと思う。大切な人を想う気持ちが、自分へのパワーとなるからだ。つらいけれど、がんばることができる。悲しいけれど、立ち向かうことができる。きっかけはなんだっていい。でも大好きな人への想いは、間違いなく、そのチカラとなる。

例え、どんなに離れていても、毎日会えなかったとしても、その人を想う心が、未来を照らすエネルギーになる。ボクはそう思う。彼の未来にもエールを送りたい。


2005年06月07日
●日本人思考を感じるとき

快晴の青空の下、何キロ先まで大草原なのかと感じる大自然に囲まれる生活。そんな環境に身をおかれながらも、何もできない自分たちがいた。これはある意味、ショックだった。

日本では、テレビをつければ時間がつぶせるし、不要な情報まで集めてしまっては、必要以上に脳や感情を使ってしまう。そんな生活から離れて、何もない場所にいても、何もすることができなかった。こんな広々とした環境なのだからこそ、ゆっくり、のんびりすればいいのにと思うのだが、そのゆっくり、のんびりができないのだ。遊牧民にお手伝いを試みたが、必要ないようで、大自然をどこまで歩けるかと散歩したり、持ってきた縄跳びではねてみたり、あとは寝ては食べての繰り返しだった。

「日本人は働きすぎ」。

ウランバートルへ向かう列車内でフランス人に言われた日本人の印象を思い出した。何かしていないと落ち着かない自分に気づいた瞬間であった。


2005年06月06日
●食事は健康のバロメータ

人生の一番の楽しみは食事だった。そう気づいたのは、ゲルでの生活があったからだ。食べたいものが食べられない、そんな生活だった。

寝ることも好きだし、食べることも好き。どちらも好きだ。ゲル生活では、十分な広さのベッドもなく、寝ることもままならなかったが、それでも寝ようと思えば寝ることができた。夜中に星空を見ようと思えば、睡眠時間を削ってでも見ていた。

しかし、食べることはそうはいかなかった。元々エンゲル係数の高いボクらの生活だが、品数が限られるゲルでの生活では満足いく食事ができない。もちろん、量を食べて空腹感を満たすことはできるのだが、季節がら肉を食べられないので、どうしてもエネルギーを蓄えられない。ゲルでの食事生活のおかげで、日ごろ、どれだけ不自由なく食事ができているのか、そのありがたさが身にしみて分かった。

世界一周旅行は、まだはじまったばかり。大げさだが、食事を制限することは健康を損なう可能性があることを察知したボクらであった。


2005年06月05日
●旅先で異なるトイレ事情

中国の安宿トイレはドアがなかった。何も男子トイレだけではない。たかさん曰く、女子トイレも同じである。

食後の方には恐縮だが、大きい方の用を足すときは、前を通り過ぎる人に「こんにちは」と声を掛けざるを得ない。ボクらは幸いにもその状況には遭遇しなかったが、あわよくばそんな体験をするところであった。このドア無しトイレだが、付けてあったドアを外したのかと思っていた。しかしネジ穴を探してみたが、見当たらない。はじめからドアがついていないのだ。

しかし、今の北京はすべてこの状況ではない。わざわざ大手デパートに見学に行ったが、ドアはちゃんとついていた。北京ダックのお店のトイレもドアはあった。場所によってドアがあるかないかは異なるようだ。

ドアがあるかないか、そんな議論に意味がないと思ったのは、モンゴルでのゲル体験だった。
観光客対応ゲルには仮設トイレが用意されているのだが、ボクらが滞在したゲルは、観光客対応ではないので、トイレそのものがない。言い方を変えれば、ゲルの外は、どこでも用を足せる環境なのだ。壮大な草原を舞台に自由に場所を選んで用を足すわけだ。人に見られるわけでもない・・・。強いて言えば、ヤギや羊、牛にじっと見つめられるくらい。自然動物からすれば、この草原すべてがトイレなのであって、1メートル四方にフンが落ちていない場所などなかった。

そんな広々とした場所で用を足すことに慣れてしまうと、すぐ目の前が壁のトイレは窮屈に感じてしまうのだから不思議だ。


2005年06月02日
●旅情を感じる列車の車窓

ボクは列車の旅が好きだ。小さいころから、車ではなく電車で育ってきたこともあって、遠く知らない世界へ連れて行ってくれるような列車の旅がお気に入り。

とくに心地よく感じるのが、車窓を眺めている時間だ。窓の外で変わり続ける景色を見ていると飽きない。少し窓を開ければ、さわやかな風が頬を横切ってくれる。あとで鏡を見れば、顔はすす汚れ、鼻の中は真っ黒だったりするのだが、そんなことも車窓に浸れる喜びに比べればなんてことはない。

北京発ウランバートル行きの長距離列車に乗ったのだが、まさに車窓の眺めを満喫できる時間であった。ひとつ気づいたのだが、そうやって、車窓でたそがれているのは、オトコばかりだ。カメラを構えたり、窓から顔を出したり、ただひたすらにその時間を味わっているようだった。同室のフランス人にはじまり、となりの部屋の中国人、アメリカ人ほか、車両の窓すべてにオトコが並んでいる瞬間は異様だった。オトコはロマンチストが多いのかもしれない。


2005年06月01日
●苦手な英語の取り組み方

外国語大学を卒業した姉と英語教師の姉。そんなふたりの姉と違ってボクは英語が苦手。

英語の授業なんて、発声練習しか楽しみじゃなかった。「レッスン・アンド・リピート!」と言われて、先生について発音する。あれだけは元気が良かった。授業中は耳栓をしているかのように先生の話を聞いておらず、テスト前には、いつも友だちの教科書とノートを借りて、対策をしていた。忘れもしない、文法(グラマー)のテストで28点取ったときには、あまりに恥ずかしくて笑ってしまった。

そんなボクが英語と向き合うようになったのは、大学の友だちの影響が大きい。理系のボクらは、3年生になったら英語の必修科目はなくなる。それでも彼とふたりで文系の英語クラスを自主選択していた。卒業単位には関係がないのだが。[take]の過去形[took]が言えなくて、赤っ恥をかくくらい、ボクの知識は乏しかった。それでもアメリカ人先生の授業は楽しかった。言っていることが分からなくても、ボクひとり理解できていなくても、質問をし、ときには知ったかぶりしながら取り組んでいた。

どうやら外国人に興味を持つところがあるようで、異国の人を見ると好奇心がかきたてられる。小学3年生のときに、神戸三宮の星電社で阪神タイガースのキムアレン選手にサインをもらったころからかもしれない。ランディバース、マットキーオ、最近ではジョージアリアスまで、外国人選手が好きだ。

きっとボクの英語は、文法的には誤っている。日本語で言う「てにはを」が使えていない感じだ。それでも話したい気持ちは伝わるようで、なんとかコミュニケーションをとってきた。とにかく知っている単語をたくさん話そう。そうすれば伝わる確率が高くなる。そんなレベルだ。

世界に旅行をしようとすると、「英語が話せるんですね」とよく言われるが、決してそんなことはない。それでも間違いなく言えるのは、英語の成績は関係がない。興味を持ち、伝えたい想いがあれば、なんとか通じるものだ。実体験でそう言える。
カテゴリ: 旅の達人 | コメント (0)


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●JICAって何だろう? (6/15)
●すてきな日本人おばさま (6/14)
●中国北京の滞在費を公開 (6/11)
●喧嘩の種はおカネでした (6/10)
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●食事は健康のバロメータ (6/ 6)

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